本日は硬いところで、青木保著「「日本文化論」の変容」を読むことといたしましょう。
0. 同書とその著者について
以前のこのブログでご紹介いたしました小熊英二著「単一民族神話の起源」と良く似た感じの書物でして、小熊氏の書物が明治以来の「日本人単一民族説」の系譜をたどっているのに対し、青木氏の書物は第二次大戦後の「日本文化論」の系譜をたどっております。
民族の一つの定義は「文化を同じくする人々の集まり」ですから、日本文化論も日本人単一民族説も共通する部分は多分にあるといえるでしょう。
ちなみに小熊氏の書物が分厚い単行本であるのに対し、青木氏のそれは中公新書の一冊。お値段税別590円と、ほとんどラノベ並みの定価となっております。
青木保氏は、大阪大学で長年文化人類学を教えた方で、タイの僧院で修行をされたことで知られている方です。その時のことを書かれたのが「タイの僧院にて」。これにつきましてもいずれはご紹介したいと思うのですが、中公文庫から出ておりました「タイの僧院にて」は、現在絶版中なのですね。結構有名な本ですから再版していただきたいものです。
現在の青木氏は第18代の文化庁の長官を務めておられます。官僚出が多い文化庁長官ですが、民間人が長官を務めたのは過去に4回。そのうちの2回は1代目の今日出海氏と7代目の三浦朱門氏で、いずれも右よりの作家です。本格的な学者が長官を務めるのは心理学者の河合隼雄氏に次いで2回目となっております。
それにいたしましても、文化に造詣の深い文化人類学者の専門家が文化庁の長官を務めるとは、わが国の行政府もたいしたものだとの感がありますが、まあ、それが官庁の中ではどちらかというと特異な例であるというのが残念なところではあります。
さて、前置きはこのくらいにいたしまして、早速同書のご紹介をいたしましょう。以下、青字の部分は同書からの引用部分です。
同書は7章構成となっており、各章の表題と内容はおおむね次の通りです。
1. 戦後日本と「日本文化論」の変容
:この短い章では、「日本文化論」という用語の同書における定義を次のようにいたします。
戦後における日本人の「アイデンティティー」の対象としての「日本文化」というとき、それを包括的に一つの全体としてとらえ、外国・異文化との比較において、論じてきたのが、いわゆる「日本文化論」である。「日本文化論」とここでいう場合にも、さまざまな「論」が含まれている。一般にいう「日本人論」や「日本社会論」など、ホーリスティックに日本人とその心理・文化・社会を取り扱うものが含まれる。その詳しい分類は、ここでは行わないが、「日本文化論」をこうした広い意味にとっておきたい。逆に詳しい分類によって、そのホーリスティックな性格の意味が失われることも考えられるからである。というよりも、「日本文化論」はあくまでも「全体」としてあるのである。
そして、後の章立てにあります4つの時期に分けて日本文化論を扱う旨を述べるのですが、これらに大きな影響を与えたルース・ベネディクトの「菊と刀」についてまず述べるといたします。
2. 「菊と刀」の性格
この章では、戦後の日本文化論のベースとなっております、ルース・ベネディクトの「菊と刀」について紹介いたします。同書は敵国日本を「理解」するために1944年6月、日本との交戦の最中に米戦時情報局から委嘱されて書かれたものであり、文化人類学の基本であります現地調査を全くすることなく、米国で入手可能な膨大な情報の分析により纏め上げられたものです。
その内容は、明らかにベネディクトの勘違いとしか言いようがない少々乱暴なところもあるのですが、「文化相対主義」すなわち、
いかなる文化も独自の、その文化内で自律する価値を有するとして、一つの文化で成立した価値観で他の文化を一方的にとらえては異文化の理解が出来ない、とする説で、それまで西欧文化中心主義の上に立って、その尺度でもって他の文化を、一方的に評価してきた文化理解を批判するところから出発
した立場です。
この結果、
ここにはすぐれた「両面性」が認められ、それがこの本の「比較文化論」としてのいまに続く生命となっている。ギアツがいうように、「東洋の神秘を解き明かすというよくみられる試みとしてはじまったのが、終ってみると、西洋の明晰さをあまりにうまく脱構築(デコンストラクション)したことになっている。本を閉じると『文化の型』におけると同じく、われわれが奇妙に思っているのはわれわれのことなのである」
ということになります。つまり、日本文化が良く理解できるあまり、米国人が自分自身のしていることが奇妙であるという感覚にとらわれるというのですね。
同書に対する種々の批判に対して、青木氏は同書を擁護に回ります。あくまで西欧的な見方ではないか、とする批判があり、確かに西欧人の目から見ての分析ではあるのですが、それは事実そうであるから致し方なく、類書に比べれば文化相対主義に立脚しているだけましということになります。
また、文化というものは時代によっても地域によっても千差万別であるという批判に対しては、全体的(ホーリスティック)な分析もそれなりの価値がある、と主張いたします。否、日本文化論とは本来、そうした全体的な分析であるべきなのですね。
さて、菊と刀(ベネディクト)の主張する日本文化の特徴は、欧米の「個人主義」に対する「集団主義」であること、「罪の文化」に対する「恥の文化」であることであるといたします。
ベネディクトは、「各人が自分にふさわしい位置を占める」という意識と行為が日本人の社会関係の基本にあり、それが日本人の階層制度に対する信頼からきており、人間相互間の関係および人間と国家の関係について日本人のいだいている観念全体の基礎をなしていると指摘する。それが、上下関係を中核とした世代と性別と年齢の特権的関係によって、家族関係を底部におく社会・人間関係を形成する。この関係枠組みにおける上下の強調は、重大な責務を委託された人間として行動する目上の者と、それに従う目下の者との結びつきであって、独裁的な権力者対従属者という形はとらない
と主張いたします。
これから、日本人が重視する「恩」とか「義理」といった点に議論は発展していきます。この後に現れます、日本人による日本文化論も、その多くはベネディクトの上記の主張を発展させた形をとるのですが、私はこの点を日本人の特徴であるとする見方には、少々懐疑的です。
と、いいますのは、上でベネディクトが述べているような人間関係のあり方というものは、欧米にも普遍的である「コミュニティ(共同体)」における人間関係と同じであって、そこに違いがあるとすれば、それはコミュニティの成員がコミュニティに傾注する深さに過ぎないように思われます。
わが国の共同体的人間関係が少々異常と考えられる点は、本来共同体的なつながりではないはずの社会組織、たとえば行政組織や会社組織までが、ある種のコミュニティと化していることでしょう。この問題に関しては、あとでまた立ち返ることといたしましょう。同様な議論は、この先でも種々語られておりますので。
3. 「否定的特殊性の認識」(1945~54)
この短い章では、終戦直後の、日本人が自信を喪失した時期の日本文化論について論じられます。
まず話題になりますのが坂口安吾の「堕落論」でして、坂口は、昨日までの帝国軍人が今日は闇屋に身を落としていることを肯定的にとらえ、「堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない」と述べます。
先日シャーリーンの歌などを聴いていたのですが、実は上の文章を読んで、I've Never Been to Meなどを聞いてみたくなったのですね(歌詞の解説はこちら)。
I've Never Been to Meの歌詞は、坂口安吾の主張しますように、正しく堕ちきることで自分自身を発見したという内容となっています。ただ、シャーリーンの堕落と坂口安吾の堕落は、少々意味合いが違うような気がいたします。
なにぶん、堕ちましたところは、シャーリーンによれば「パラダイス」でして、戦争に負けて闇屋をするような世界とはずいぶんと違います。戦争に負けて闇屋をせざるを得ないのは、外的環境の変化に応じてのごく自然な対応であるのに対し、享楽を追及して自分自身を見失うのはプロテスタント的な意味でも背徳といえるでしょう。
3年少々以前のこのブログに書いたことですが、その前年の暮、ニューヨークでは巨額のボーナスを手にした金融関係者が催す豪勢なパーティーが話題になっていたのですね。私はそこに背徳の香りを嗅ぎ取りまして、「今の地上にソドムとゴモラを探すなら、その一つがニューヨークであることに異論はないでしょう。で、もう一つにつきましては、それが東京でないことを祈るばかりです」などと書いたものです。
わが国におきましても、バブルの頃の浮かれぶりは当時のニューヨークと良い勝負でした。日本のバブルの崩壊や昨今のサブプライム問題は、天罰覿面ともいえそうです。それにしては、はた迷惑な話ではあるのですが、さて、彼らは正しく堕ちきったといえるでしょうか?
敗戦というショックから、古い日本のシステムは徹底的に批判されます。戦前のわが国の社会は「イエ」的つながりが強く意識されておりました。同書は法社会学者川島武宣のイエ的社会に対する批判を以下のようにまとめます。
川島がここでいう「家族的原理」とは、次の四点に求められる。すなわち、
1.「権威」による支配と、権威への無条件的服従。
2.個人的行動の欠如とそれに由来するところの個人的責任感の欠如。
3.一切の自主的な批判・反省を許さぬという社会的規範。「ことあげ」することを禁ずる社会規範。
4.親分子分的結合の家族的雰囲気と、その外に対する敵対的意識との対立。「セクショナリズム」。
この川島の主張に対して青木氏は「過激」との感想を抱かれております。確かにこうずばずばと言われてしまいますと、今日の社会においてもあてはまるところが多々あり、川島の批判を受け入れるのは難しかろうという気がすることは確かです。
しかしながら、公の組織であれば、少なくとも公にはこの4点に配慮することは悪いことではなく、むしろ今日の組織の問題は、これらが不完全である部分にその根を持っているように私には思われます。
4. 「歴史的相対性の認識」(1955~63)
敗戦後の混乱期を脱して急速に経済が立ち直りますと、日本人にもわが国固有の文化に対する自信が戻ってまいります。この時代を代表する文化論が、加藤周一の「雑種文化論」、梅棹忠夫の「文明の生態史観」そして米国社会学者ロバート・ベラーの「日本近代化と宗教倫理」です。
まず、加藤の「雑種文化論」は、日本文化の雑種性に注目し、だから日本は適応力に優れるのだ、と述べます。また、梅棹の「生態史観」は、わが国の文化が東洋よりも欧米に近いことを指摘し、であるが故に容易に近代化がなしえるのだと説きます。
ここで評価の基準となりますものは、「より良い暮らし」であり、経済的な豊かさであり、文化の美学的側面は捨て去られます。
最後のベラーの説は、その表題からも明らかなように、マックス・ヴェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」を下敷きとしておりまして、日本人の倫理観が勤勉に価値をおくプロテスタントに似通っていた点に注目いたします。
これらの説は、いずれもわが国の文化が、東洋の文化とは異なり西欧の文化に近く、この結果、急速な西欧化、近代化が可能であり、経済の急発展につながったのであるといたします。
5. 「肯定的特殊性の認識」前期(1964~76)、後期(1977~83)
この章は非常に長い章となっております。なぜ前期と後期で章を分けなかったか、という点が疑問ではありますが、後期の記述が少なく、分けるとアンバランスになるからかもしれません。
その、「肯定的特殊性の認識:前期」は、東京オリンピック後の十数年、いよいよ日本が高度成長を遂げ、オイルショックなども跳ね返して世界のトップレベルへと上り詰める時代でして、日本人が自らの文化に自信を持つようになった時代の文化論が語られます。
まず、社会人類学者、中根千枝による「日本的社会構造の発見」と「タテ社会の人間関係」が上梓されます。中根は、前書で日本的集団主義は、「ウチ」と呼ばれるような「場」を重視すると述べ、後書ではそこにおける人間関係を、親子関係に類似したタテの関係にあると述べます。
尾高邦雄はその著「日本的経営」において、西洋人から見れば前近代的で封建的との印象を与える、年功序列や集団的経営姿勢などで特長つけられる「日本的経営」が、実は輸入された西洋の生産技術と結びつくことによって、驚くべき効果を生み出したと論じます。
この時代の日本文化論として無視できないのが1971年に出版されました土居健郎の「甘えの構造」と1972年に出ました木村敏の「人と人との間」です。
土居は、日本人の成長過程における母親依存から、社会においても依存関係が残り、これが義理人情の根源的要因なのだと主張します。しかし、土居は「甘え」の心理を非倫理的で閉鎖的で私的と批判はするが、同時に、「無差別平等を尊び、きわめて寛容でさえある」と評価する。そして、日本人の社会関係や集団にとっては、これが積極的な肯定的意味を持つと述べます。
一方、木村は西洋人の「自己」と日本人の「自分」を対比させ、日本人は、絶対的な自分自身である「自己」ではなく、他者との関係の中に自らを見出すのである、と説きます。これも土居氏の主張する日本人の依存関係の強さと同列の議論ではあります。
これらを総括的に纏め上げたの1979年の村上、公文、佐藤の共同研究「文明としてのイエ社会」であり、欧米型の個人主義とは異なる、他の可能性をも考慮すべきである、といたします。
一方、同じ年にエズラ・ヴォルゲールの「ジャパン・アズ・ナンバーワン」が出版され、日本の文化的特殊性と、日本的経営が高く評価されることになります。
6. 「特殊から普遍へ」後期(1984~)
この時代になりますと、強すぎる日本に対する国際的な日本叩きが始まります。青木氏によりますと、次のようになります。
オランダ人のジャーナリスト、カレル・G・ファン・ウォルフレンは1986年に米外交誌『フォーリン・アフェアーズ』に「日本問題」という論文を書いた。この論文は大げさにいえば「国際社会」における「日本神話」の終焉を告げるものであった。そこでは、「主権統治国家」と「市場経済圏諸国の一員」という、今日の「自由主義」近代国家の主要条件が、日本には欠けていると批判され、それは「現代日本」の成功に酔う日本人に冷や水を浴びせるような効果をもたらした。
7. 「国際化」のなかの「日本人論」
この章では、これまでの議論を総括する形で、今後の世界の動向とその中での日本人論についての議論が行われます。
前章の最後の部分と、この章の内容につきましては、同書の内容と共通する部分も多いのですが、私自身の考えを紹介する形で述べたいと思います。青木氏の主張のみを正確に読み取りたい方は、「『日本文化論』の変容」をご参照ください。
8. コミュニティと日本社会の特殊性
まず、青木氏も書いておられますように、日本人の特徴とされる「集団主義」なり「他者との依存関係」なりは、日本人に特有の現象でもなく、世界のあらゆる人間社会の中に認められております。
私に言わせれば、これは「コミュニティ」というものであって、相互依存関係にあるメンバーが帰属意識を持つことで成立いたしますコミュニティーにおいて、成員が役割意識をもつということも広く知られたことですが、これは他者との関係のなかから自らの役割を見出していることに他なりません。
すなわち、日本社会の特徴として諸氏に指摘されている点はいずれもコミュニティの基本的要素であり、多々述べられてまいりました日本文化論は、日本の社会はコミュニティであると断じているように読み取られます。
コミュニティは、古くは村落共同体として、社会そのものを律してきたのですが、今日では、仲間内の社会という形式が許される範囲で、限定された形でのみ存続しております。
大規模な社会を公正に運営するためには普遍妥当性が要求され、明文化された法と、これを施行する官僚機構に社会の運営が任されることとなります。
ところが日本においては、コミュニティ的要素が社会のあらゆる部分に入り込んでおり、普遍妥当性が忘れ去られてさえいる状況も往々にして目にいたします。
以前のこのブログでご紹介したように、和辻哲郎氏は、本来の日本は「善悪の彼岸」にあるのであり、中国や西欧から導入された「普遍妥当の道徳」を捨て去るべきであると主張するのですが、これら普遍妥当の道徳なくしてはわが国の行政機構が成り立たないが故に古墳時代から中国の律令を積極的に取り入れました。
今日のわが国に要求されるのは、官僚機構、企業経営の世界から、少なくともその基幹部分からはコミュニティ的要素を排除し、普遍妥当の規律の元に経営が行われるようにしなくてはなりません。また、そのようなことができる人材を、すなわち普遍妥当性に立脚した施行と議論のできる人を教育機関は養成しなければいけません。
「イエ的社会」などという原理で成り立つのは小さな社会であり、家庭や小企業、あるいは文化芸術の世界であればこの原理も可能でしょうし、むしろ情緒的紐帯に支えられたコミュニティ型組織こそ、このような小さな組織にはふさわしいかもしれません。
しかしながら、官僚機構や大会社が同じような仲間社会であることは許されるものではありません。もちろん、その末端の小組織においては、全体の規律に抵触しない範囲での情緒的紐帯もあってしかるべきであるとは思います。
しかしながら、企業そのものの行動が仲間社会であったのが、これまでのさまざまな企業不祥事を招いているのは周知の事実です。「ウチ」の論理と「ソト」の論理の使い分けがまず問題であったわけですね。
また、日本的経営が大企業においても可能であったのは、戦後一貫して経済が拡大してきたという特殊な経済環境があって初めて可能だったのであり、バブル崩壊後の経済成長が停止した段階では、もはや終身雇用に年功序列などを含む日本的経営などというものは、最初から不可能となっております。
日本企業もすでに国際的な活動をしており、国際社会における日本企業の活動も無視できなくなりました。一方で、日本の社会・経済システムは国際社会のそれとは異なる状態が保たれておりました。この矛盾が噴出したのが1980年代であり、国際社会の日本の制度に対するフラストレーションが一気に爆発いたしました。
それでも、日本が強さを保っている間は、のらりくらりと逃げることもできたのですが、バブルが崩壊し銀行などへの外資の導入が避けられなくなりますと、国際標準も受け入れざるを得ず、企業建て直しのためにも規制緩和を行わざるを得ず、企業も日本的経営を捨てざるを得なくなりました。
一方で、日本人の意識は従来とは変わっておらず、新たな日本文化の目標も定まってはおりません。人びとは仲間社会を指向し続けており、普遍妥当性を重視するには至っておりません。
本来であれば、リベラルな思想に基づく市民活動や、マルクス主義に裏打ちされた社会主義を指向していた人びとは、普遍妥当性の上に思想がおかれるべきであったのですが、なぜか日本の社会主義は仲間指向が強いある種のねじれ状態にあり、このような事態を突破する力を持ち得ないという問題もありました。
新たな日本文化の創生をしなければならない、という切羽詰った状況が、現在の日本の状況であるともいえるでしょう。
そうなってまいりますと、敗戦後の反省から出てまいりました川島武宣の批判的日本文化論は、再び今日的な意味を持ってくるように思います。これを短くまとめますと、第一に権威の重視を止めること、第二に個人の考えをもち自分自身に責任を持って行動すること、第三に自主的な批判・反省を重視すること、第四に「ウチ」「ソト」の垣根を下げてセクショナリズムを抑制することです。
コミュニティは、人の本来的欲求を充足させるためには必要であり、社会組織の末端部分や、私的部分に存在が許されてしかるべきなのですが、それが巨大組織の運営をまで左右するようになりますと、公正な社会運営は不可能となります。
行政や大企業の運営を普遍妥当の原則に戻すことが、わが国には早急に求められるのであって、それを遂行可能な人材を早期に育成することが急務ではないか、と私は強く思う次第です。
そういえば、わが国の外交政策も他国との関係の中にわが国を位置づけ、強国と縦の関係を結びたがるという傾向があるといわれております。これは国際社会においてわが国はコミュニティを指向している、ということであるのかもしれません。
もしそうであるなら、これは驚くべきことであると思います。つまり、むちゃくちゃだ、ということですね。