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アゴラはどんどん危ない方向に

前回のこのブログで批判した記事はアゴラに掲載された記事でした。アゴラは、なかなか良い記事も見受けられるのですが、最近、原発擁護論が増加してからは特に、少々おかしな記事が目立つようになりました。せっかく良いイメージが浸透しつつあったアゴラですが、これではいずれ多くの人にそっぽを向かれてしまうのではないでしょうか。

最近公開されました辻元氏の主張も少々おかしい。確かに衆愚政治は民主主義の陥りがちな問題ではあるのですが、その結論が「民意を制限すべきでしょう」となりますと、これは少々穏やかではありません。

そもそも、原発に対する国民の拒絶感を「衆愚政治」の一言でかたずけて良いものか、これは少々疑問です。「衆愚政治」という言葉がしっくりくるのは、赤字財政を放置して減税をしたりバラマキをしたりするような政治なのですが、実際のところでは財政赤字の問題を国民はよく理解しており、増税もやむなしと考えている人は小数派ではありません。

私は一応MBA教育を受けているのですが、そのカリキュラムで重要視されているのが「プレゼン能力」。なぜ経営学でプレゼン能力を重視しなければいけないか、お分かりでしょうか?

経営学というものは結局のところ、組織をいかに経営すればよいかという処方箋を示すのがアウトプットになるのですが、それを受け入れるのは組織のトップなりの責任者であって、もしも彼らが提案を理解できないとすれば、それは理解できないトップの責任であるのではなく、説明が下手だから、ということになるのですね。

どんな素晴らしい分析結果も、結局のところ経営判断する立場の人間に理解してもらえなければ何の価値もありません。国政に関わる様々な分析結果や処方箋も、トップに理解されないのではいたし方なく、理解しない奴が間違っている等とほざくのは居酒屋でサラリーマンがこぼす愚痴と大差ありません。

我が国は民主主義を採用しており、主権在民が大前提となっております。我が国を統治する最高の権限を有しているのは国民、それもマスとしての国民なのであって、いかなる主張をするにせよ、国民の理解が得られない主張には何の価値もありません。

で、理解できない国民が悪い、等という主張は居酒屋でこぼす愚痴と同程度の主張でして、そんなことを主張する評論家はできの悪いサラリーマンと五十歩百歩、と私などは考えてしまいます。