最近のアゴラに江本真弓氏が「安易な「あほロワー」にならないために」と題する記事を書かれています。これは、先日のこのブログで批判的に取り上げました新田氏の記事に対する批判なり助言なりといったもので、負け犬路線を突っ走っておりましたこれまでのアゴラの論調とは一線を画しております。さすがに負け犬路線に未来はありませんし、このような主張を続けていたのでは言論の場も成り立ちませんから、このあたりで路線修正が入るのも妥当な成り行きであるように思われます。
新田氏は後にリカバリーショット的な記事(こちらがオリジナルでしょうか)を書かれているのですが、その中で語られている言葉「経済学も池田先生の記事などで通り一遍の知識は学ぶが、本質的な理解ができないため、リフレ派がなぜ危ないのか自分の言葉で表現できないのがもどかしい」にも少々危ない気配が感じられます。この危なさ、オウムに引かれた若者と同種の思いであるとの印象を受けるのですね。
もう一つびっくりいたしましたのが、以前排除されておりました山城氏がアゴラに復帰していること。一方で山城氏を非難しておりました辻元氏がここ一月ほど沈黙していること(先日のこのブログにいただきましたセイヤ777さんのコメントでは、アゴラからはじかれたとのこと)、これらをあわせますと、アゴラはこのお二方の間で乗換えを行ったともみることができそうです。
この乗り換え、傍から見ておりまして何が起こっているのかさっぱりわかりませんことは、北朝鮮のナンバー2をめぐる動きと似たような印象を受けます。権謀術数の渦巻く世界は、言論の場を標榜するには少々問題でしょう。少なくともアゴラは前回、山城氏を公式に除名しておりますので(これに関する私のコメントはこちら。ちなみにアゴラの公式コメントへのリンクは既に無効となっております。このあたりも北朝鮮的印象を受けますね)、復帰に際しても何らかのアナウンスがあってしかるべきところでしょう。
まあ、「本名ならよしとする」あたりを公式見解としそうな気もしますが、そんなことをいわれましても建前であるようにしか私には思われませんし、大方の人にもそのように見透かされてしまいそうです。つまりは山城氏復帰に当たりましては「反原発の主張をしないこと」といった裏取引があったのではなかろうか、などというあらぬ疑いを拭い去ることができないのですね。そうであったとしても、どちらも否定されるのでしょうけど。
アゴラは私のコメントをブロックしており、アゴラに書かれました数々の誤った記述に対する修正コメントは他の方には見えないようにされているのですが、最近BLOGOSに転載されております記事にはコメントを受け付けるものも多く、こちらの私のコメントは有効となっております。ならばどちらで議論するのが効果的かは分かりきった話ですし、コメントを受け付けるBLOGOS記事(アゴラからの転載記事を含む)は信頼性が高いとみなすこともできるでしょう。
今日では、言論の場をコントロールするなどということは、仮に一時的に成功したとしても、そうそううまく続けられるものではありません。そんなことをやっておりますとアゴラは信頼を失い衰退するしかありません。これに気づいてアゴラは方向転換を図っているのではなかろうか、というのが最近のアゴラに対する私の憶測です。
行き着くべきところは、池田氏なりその追従者がBLOGOS記事にコメントを受け入れることなのでしょうが、これを行った瞬間に彼らの論拠は破壊されるであろう、と私は考えております。それが分かっているが故に彼らにもそれができない。結局のところ、アゴラの未来は相当に厳しそうである、というのが私の見解です。つまりこの方向転回は多分失敗するであろう、というのが私の予想なのですね。
結局のところ、アゴラの行き方は最初から無理筋であった、ということになるのでしょう。そんなことぐらい、最初から分かっていそうなものなのですが、、、