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原発の病理:新潟県知事選挙結果に思う

BLOGOSに「選挙で「原発」がテーマになると、自民党は必ず負ける」と題する田原総一朗氏のインタビューが掲載されており、これにコメントを付けたところ、かなり長い議論になってしまいました。(議論部分がリンク切れとなったため、末尾に「田原氏のエントリー」と「コメントをめぐる議論」を追加しています)

内容につきましては、これらをご参照いただくこととして、この議論の結果から私が感じたことについて、本日は述べてみたいと思います。

私の基本的立場

この話を始める際に、私の基本的立場についてまず説明しておく必要があるでしょう。というのは、今日の原発推進のあり方に少しでも批判的なことを述べると「あいつは反原発派だ」などという決めつけがなされてしまい、内容を全否定されてしまう、などということがしばしば起こるからです。

まず、原子力発電(原発)はエネルギーを得る手段として当面の有力な技術である、というのが私の基本認識です。

ここで「当面の」といいますのは、いずれは核融合発電が現実的になるであろうと考えておりますし、もしかすると自然エネルギーの利用が十分に経済的にも可能となるかもしれません。しかしながら、現在すぐに切り替えることは、技術的にできない状態にある、ということなのですね。

また、現時点では、化石燃料でも我が国の電力需給は満たすことができております。しかしながら、原油にせよ天然ガスにせよ、このような状態がいつまで続くかという確証はなく、いずれはオイルショックのような、燃料入手に困難をきたす事態とならないとも限りません。エネルギーの入手手段は、可能な限り広く保っておいた方が良いのですね。

とはいえ、原子力発電の最大の問題は、その安全性に疑問が投げかけられていることであり、社会的に許されるレベルの安全性が今日の原発で満足されているか否かに関して、私にも確信がもてないことです。

各種世論調査でも再稼働に反対する意見が多数を占めていることから、我が国の国民の多くが原発の安全性に関して疑問を抱いていると思われます。その結果生じることは、今回の新潟県知事選挙のように、反原発派の知事が誕生することになる。そして様々な許認可権を盾に、原発の再稼働を妨げることになるのですね。

これでは、我が国はエネルギー供給の面で不安を抱えたままになってしまいますし、電力コストの高騰を招き、日本経済にも悪影響を与えてしまいます。

では、住民の反対を押し切って何が何でも原発再稼働に踏み切ればよいかといいますと、現行の制度がある以上これもまた現実的ではありません。

もう一つの問題は、それが社会的に許されないほど危険な存在であるなら、原発を再稼働すべきではない、という至極当然な問題があるのですね。

だから、まずなすべきことは、今日再稼働を進めようとしている原発が、社会的に許される程度に安全なものであるかどうかを明らかにすること。それが安全なものであるなら、これを広く国民一般にわかり易く説明して、近隣住民の理解を得ることです。これが得られたならば、県民も原発反対というだけで知事を選んだりはしないでしょう。

一方、もしそれが社会的に許されないほど危険なものであるなら、これを隠して再稼働を進めるなどということは許されるものではありません。

そして、これが安全であることを国民にわかり易くすることは、その再稼働を進めようとしている事業者が、まず行わなくてはならない。なんとなれば、福島の事故で、原発の安全性に対する不信感は、国民の間に一気に広がってしまったのですから。その不安を解消するのは、まず第一にはその当事者である電力会社であり、必要であれば行政がこれをサポートする形で取り進めるしかありません。

かなり長くなってしまいましたが、これが、原発に関する私の基本的認識であるわけです。(原発問題に関する私の基本的立場とBLOGOSとのかかわりに関しては、こちらにもまとめています。)

福島で起こったこと

こういう背景を前提に、この長い議論(リンク切れ。末尾に「コメントをめぐる議論」として再録)を読んでいただければ、おそらくは、多くの方が私と同じように、おかしな印象を受けるのではないかと思います。

福島の事故は、千年に一度の津波を無視してしまったことによって起きました。正確にいえば、西暦869年に発生した貞観地震による津波の規模が知られていたにもかかわらず、このような大きな津波は起こらないものとしたことが、致命的な結果を招いてしまいました。

貞観地震の津波規模について、誰も知らなかったのであれば、これは致し方のないことであったということもできるでしょう。しかしながら、東京電力には、この情報が事前にもたらされていた。にもかかわらず、これを無視したことが運命の分かれ道となりました。

このあたりの事情はWikipedeaによりますと、次のようになっています。

2002年に文部省の地震調査研究推進本部が、「貞観津波、明治三陸津波、昭和三陸津波のような東日本の太平洋岸を襲う大津波は、今後は三陸沖から福島沖、房総沖にかけて、どこで起きてもおかしくない」という報告をまとめた。その報告を受けて2008年に行われた東京電力の独自調査では、福島第一原子力発電所に想定を大きく超える津波が来る可能性を示す評価結果が得られ、原子力・立地本部の幹部は危険性を指摘したが、吉田が部長を務める原子力設備管理部は「そのような津波が来るはずはない」と主張[注釈 1]。上層部も了承したため建屋や重要機器への浸水を防ぐ策が講じられなかった。2009年6月にも、経産省の公式会議である「総合資源エネルギー調査会 原子力安全・保安部会 耐震・構造設計小委員会 地震・津波、地質・地盤合同ワーキンググループ」内で、産業総合研究所の岡村行信活断層・地震研究センター長は、東電は津波対策として貞観地震を検討すべきと明言し、想定を格段に厳しく見直すべきだと指摘していた。

ここで、注釈1は以下のように説明されております。

2002年に公益社団法人土木学会が、2006年に中央防災会議がそれぞれ「福島沖に波源はなく、福島沖と茨城沖を災害対策の検討対象から除外する」という見解を発表している。これを受け、吉田は明治三陸沖地震の波源が仮に福島沖にあった場合の津波高を自主試算させ、最大波高15.7mという結果を得る。それを基に土木学会に「福島沖に波源がない」見解と自主試算結果の審議を正式に依頼した。さらに吉田は堆積物調査を行い、貞観地震の際の推定津波高を4mと試算した。このように、吉田個人は津波対策を軽視していたわけではない。

注釈1は、吉田氏擁護の注釈ですが、かなり論旨が不明確です。

いずれにしても、貞観地震の津波が無視されてしまったことに変わりはなく、東日本大震災によって引き起こされた高さ13.1mと推定される津波によって、福島原発は破局的な事故に至っております。

東京電力関係者の心の傷

これは、福島原発周辺住民に多大な被害を与えたのですが、実は、東京電力にも、あるいは東電社員にも、大きなダメージを与えているのですね。なにぶん、超一流企業でありました東京電力が実質的な破綻に至っておりますから。

福島の事故は、電力会社にとっても、またその関係者にとっても、痛恨の限りであったでしょう。だから、普通であれば、こんなことが二度と起こらないように万全の対応を取るはずです。だけど、そのもっとも重要なポイントである千年に一度の津波を無視した理由について、その原因を掘り下げて十分な対応を取られているようにも思われません

そして、これがなぜ無視されたのかと問われても、なぜか答えが出てこない。「想定していなかった」とか、「そんな地震が来るとは思わなかった」などという答えなら出てくるかもしれませんが、これらは答えになっておりません。なぜ想定していなかったのか、なぜ来ると思わなかったのか。「なぜ」はこれらの答えを超えて、恒久的な安全確保につながる本質的な問題点の解明に至るまで、進めていかなくては問うた意味がないのですね。

その理由の一つとして、厳重なかん口令が敷かれているということは、簡単に思いつくところです。この部分の詳細な事実関係が明らかになってしまうと、関係者の責任が問われることになる。これは東電にとりまして困ったことではあります。でも、こんなかん口令は、まず成功しそうにありません。かん口令を敷かれたところで、これに反する情報が出ることを完全に抑えることは、今日のネット社会では難しいでしょう。

私がこのような受け答えから受けた印象は、これらの発言をしている人たちが、精神に何らかの傷を負っているのではないか、という疑いです。なにぶん、質問と回答が微妙にずれております。そして、回答が必要以上に遠回りをしております。これは、先に引用いたしましたWikipediaの注釈1からも受ける印象です。

なぜこんな行為を人はするのでしょうか。心理学の教えるところによりますと、人は心に傷を負うと、無意識のうちにこの傷を避け、この結果として、理解しがたい行動をとることが知られております。そうしたことが、東京電力の関係者や、かつて原発を推進した人々に生じているのではないでしょうか。

心理的抑圧という問題

人は誰しも、世界に対する一定の理解、世界観というものをもって生きております。そしてこの世界観が現実ではないことが明らかになったとき、これを素直に受け入れることができず、現実がみえなくなってしまうことがままあります。特にその世界観がおのれの生きがいなり優越感の源であった場合にそうなり易い。そうしたことが、東京電力の関係者や、原発を推進した人々に起こっているのではなかろうか、との印象を受けるわけですね。

かつての東京電力は、安定した大会社で、給料はもちろん福利厚生施設に至るまで至れり尽くせりで、社会的にもその意義を認められた優良企業でした。だから、東電に就職すれば、親類縁者も大喜びし、他の人たちからも羨ましく思われておりました。これは、本人にとっても誇らしいことであったに違いありません。

福島の事故がありましたが、これが、単なる不運であるということであれば、この世界観にはさほどのダメージも受けません。どんな優良な企業であっても、運悪く、天災に襲われることもある。その結果、実質破たんに至ったとしても、これは運が悪かったというだけの話です。

しかしながら、このような惨事が人的要因によって引き起こされたのだとしたら、それも、東京電力の組織的な問題や、トップの判断の誤りであったとしたら、東京電力という企業が優良な企業であるという前提は、崩れてしまいます。こんなことは絶対認めるわけにはいかない、との思いが生じてしまうことも、あり得ないではないように思います。

厄介な点は、これを当人に語っても、当人は決して認めないであろうということ。なにぶん、その自覚すらないのが普通なのですね。

このような現象は、フロイト流の精神分析で多く扱われています。たとえば、Lという文字が読めなくなったという症例を抱えた人の深層心理を探った結果、幼少時に誤って斧で人を傷つけてしまったことがその原因であった、というケースがありました。斧で人を傷つけるというショッキングな出来事が心に傷を与え、斧を連想させるLという字が読めなくなってしまったというのですね。

このような症状は、「心理的抑圧」と呼ばれ、その解決方法は、この原因となった事件を探り出して、これに向き合うことであるとされています。

心理的抑圧につきましては、フロイトの学説が今日でもそのまま認められているわけではありません。でも、これに類する症状は、フロイトの時代でも現在でも、同じように存在するでしょう。

私が今回の議論から受けた印象は、まさにこの抑圧であり、これを解消せずに原発の再開を進めていくことは、もしかすると大変に危険なことであるかもしれない、と感じた次第です。


田原氏のエントリー

コメントをめぐる議論

以下、2022.4.23-27に追記しました。コメントをめぐる議論がリンク切れになってしまいましたので、再録したものです。

途中で他の方の議論が始まったため、私の主張が中途半端に終わっておりますが、この時点で私は議論をあきらめかけておりました。つまり、こりゃ駄目だ、ということですね。最初から私は、電力会社が原発を稼働させることに対して一般国民が理解できないのが問題であると苦言を呈しているのですが、それに対する回答が放射線取扱主任者試験を受けろだとか、説明には何時間も必要だとかいう話になるのですね。

これでは、一般国民に分かりやすく説明することなど、とても無理だ、といっているのに等しい。つまり、我が国で原発を運転することは難しいと主張していることに他ならないのですね。

何でそんなことに気が付かないのでしょうか。そこに私は、精神的な傷を受けているのではないか、との印象を受けるわけです。

おそらく私が議論をした相手の方は、原発を推進する立場の方で、こういった考え方はかなり一般的であるとの印象を受けております。実は、他にも似たような印象を受ける方と議論したことがありますので。

そうなりますと、我が国で原発を運転することは、ほとんど不可能に近い。精神的な傷を受けた方がこのような危険な技術を扱うべきではない。そんなことをすれば、大きな事故につながりかねない。そして厄介なことには、こういったことは本人も認めないだろうし、そうである、という主張を第三者がすることもしにくい。誰かが精神的に病んでいるなどということは主張できない。私にできることは、議論の全般から、そうであるとの印象を受けた、というのが限界なのですね。

結局のところ、こういう状況である以上は、我が国における原発の利用というオプションはあきらめるしかないのではないか、というのが、私の今の偽らざる心境です。

原発をあきらめても、他のオプションとして自然エネルギーもある。先々には核融合もあるし、直近では化石エネルギーがまだまだ使える。どのみち、原発にはさほど長い利用可能期間はなかったわけですから、少々早めにあきらめることも、さほど悪いことではない。このあたりで、そろそろ決断しなくてはいけないのではないでしょうか。

まあ、そんな思いもあって、この古い議論をここに改めて再現した、というわけです。

Yuzo Seo

「必ず負ける」とまで言うのはどうかと思いますが、原発の問題は、現在の自民党政権にとってはいやらしい論点となっております。

確かにこれは、あまり科学的ではない反対運動の言説に住民が惑わされているということも事実ではあるのですが、野党や「リベラル」の活動家にとりましては、それが商売なのですから、これを非難したところではじまりません。

言論は自由なのですし、、、

原発を推進する与党サイドには、これを非難して済ませるのではなく、原発が安全であることを広く国民、なかんずく原発近隣住民に、わかり易く説明して理解を得なくてはいけません。

原発を不安に思う人たちを放射脳などとdisってみたところで、事態は全く改善しないのですね。

そもそも、わかり易く説明できないでいること自体が、「何か隠しているのではないか」などといった疑心暗鬼を招く原因になってしまいます。

私にも、今日の原発が真に安全であるのかどうか、判断できない。

この疑問を呈するだけで、反原発派と思われてしまい、疑問に対するきちんとした答えが返ってこない。

これでは、国民なり原発近隣の住民なりが、原発は安全であると納得できないのも致し方ないように思います。

まずは、原発を推進する人々が、少し頭を冷やして、柔軟な考え方をするようにしなくては、この問題は先へは進まないでしょう。

原発を推進すべき立場の人々が反原発派と似たようなレベルにとどまっているようでは、どうしようもありません。

日本が無駄なコストを払い続けなくてはいけない、その責任の真の所在はどこにあるのか、この点にもそろそろ目を向ける時期ではないか、と私は思います。


投稿日時:10月25日 12:29

Ikuiku Kaka

>私にも、今日の原発が真に安全であるのかどうか、判断できない。 この疑問を呈するだけで、反原発派と思われてしまい、疑問に対するきちんとした答えが返ってこない。

この風潮が、原発に対する国民の思考停止を招いていると思います。


投稿日時:10月25日 15:44

xIHkayXttw

説明は、まず、安全とは何か、ということから始め、人が生きていることで多くあるリスクとの対比、放射線被ばくによる人体への影響、更に、日本という国がどういう国で、なぜエネルギーが必要なのか、1次エネルギーは3種類しかなく、それぞれ特徴があること、地球温暖化、地球環境負荷低減、エネルギーの安全保障、経済性(発電単価)などを説明し、その上で原発の仕組み、設計条件、安全対策、その有効性を説明しなければなりません。

マンツーマンで(あるいは少人数に対し)説明しても5~6時間程度は掛かるのです。

このため、まずは、GEPR、IEEI、原子力国民会議、エネルギー問題に発言する会、日本エネルギー会議などのHPで基本的知識を少しでも増やして欲しいのです。

具体的な質問であれば、このblogosの字数でも説明できることもあります。


投稿日時:10月25日 16:18

Yuzo Seo

xIHkayXttwさん

> 説明は、まず、安全とは何か、ということから始め、人が生きていることで
> 多くあるリスクとの対比、放射線被ばくによる人体への影響、更に、...

こういう話になってしまいますので、国民にも、原発周辺の人々にも、原発が安全であるという理解が得られないのですね。

話はもっと簡単に、わかり易くしなくてはいけません。

> 具体的な質問であれば、このblogosの字数でも説明できることもあります。

具体的で単純な質問をいたします。

現在の原発は、事故の確率をどの程度に抑えることを目標としているのでしょうか?

また、その際の地震や津波の規模は、どのようにして予測したのでしょうか?

ここで、確率とは、事業所単位(たとえば柏崎刈羽原発について)で何年に一度生じるかということで、事故の規模としては、付近に放射性物質が漏えいして、周辺住民が避難を余儀なくされる程度の事故とします。原因には、原子炉本体によるもの以外に自然災害などによるものもを含むこととし、戦争によるものは除外してもよいと思います。

なぜ私がこんな疑問を持っているかといいますと、福島の事故以前には、百万年に一度以下の事故確率に押さえているとPRしていたのですね。炉の設計は1千万年に一度の事故確率とし、それが10炉あっても百万年に一度以下であること、地震、津波にも同様な安全対策がとられている、としておりました。

しかしながら実際には、千年に一度の津波が無視されていた。この対策さえとられていたら、福島の事故は起こらなかったのですね。

そこで、安全目標が徹底されていなかったのでは、という疑問が生じます。保安設備にはお金をかけて対策しているのですから、この程度の安全性は必要と考えていたはずです。

でも、地震、津波は無視された。

なぜか、そして、いかに改善されたか、これが私の疑問です。


投稿日時:10月25日 17:12

yahoo user 2b4d4

Yuzo Seoさん。

あなたは優秀だから、あなたが理解できても、あなたが国民に理解させられなければ意味が無い。

もっと素朴で、簡単な疑問がよいでしょう。こんなバカみたいなと思われることがキーで、意外と盲点ですよ。

ところで、Yuzo Seoさんは、放射線取扱主任者試験をご存知ですか。ご存知でなければ、ネットで検索してください。過去問と回答は用意されています。Seoさんなら、合格点を出せるでしょう。

この試験は、受験者の殆どは20代のズブの素人、文系専業主婦で合格し、放射線管理業務に従事している事例もあります。こういうものもあることすら知らないで騒いでいる。放射脳とdisられる根拠です。

政府もこういう仕組みを宣伝するとかなり違うのですがね。


投稿日時:10月25日 19:52

Yuzo Seo

yahoo user 2b4d4さん

> あなたは優秀だから、あなたが理解できても、あなたが国民に
> 理解させられなければ意味が無い。

この問題は、私にも理解できないのですけどね。

> もっと素朴で、簡単な疑問がよいでしょう。こんなバカみたいな
> と思われることがキーで、意外と盲点ですよ。

簡単にいえば、百万年に一度以下の事故確率とPRされていた原発で、なにゆえに、千年に一度の津波が無視されたのか、ということです。

そして、この点が、現在はどのように解決されてるのか、というところが最も心配なところであるわけです。

ちなみに、この問題は、放射線云々とは別の、信頼性工学に関わる議論です。

私の憶測では、目標となるべき数値(事故の確率)が共有されていなかった、ということ。

リスクマネージメントの観点からは、無視し得る程度の小さな確率のリスクは無視してよいのですが、無視し得るリスクの確率は人によって異なるという点が問題です。

人が利己的に振る舞い、おのれの利益を最大化しようと考えるならば、任期10年のトップは10年以内に事故が起こる確率が無視しえる程度に小さければよい。40年務めるつもりの新入社員は40年以内に事故が起こる確率で評価します。しかし、子々孫々に至るまで田畑を伝えたいと考える周辺農家は、100年以内にだって事故など起こしてもらっては困ると思うのですね。

つまり、この手の判断を個人に任せていてはいけません。数値の形で目標を掲げ、これを共有しなくてはいけない。

そして、原発の場合にコントロールされるべき事故の確率は、社会的に定められるべきであり、電力会社側の技術的観点からの数値と、周辺住民を含めた民意に基づく行政サイドの要求とのすり合わせで決めるべき確率である、と私は考えております。

この点がきちんとなされているようには、とても思えないのですね。


投稿日時:10月25日 20:27

退会者

基本脱原発の考え方をざっくり言えば、自分たちは危険な
原発を止めて化石燃料を使いましょう。
100年後に枯渇したとしても自分たちには関係ないと思ってるでしょう。
CO2の問題も含めて石油資源の貴重さも自分たちに関係ないと考え
てることは間違いない。
そんな保身しか考えない人達が10万年先を心配するわけがない。
そんな反対派の人達が日本には約60%いることになる。
男女別のアンケートだと60%中、7~80%は女性かもね。


投稿日時:10月25日 20:52

Yuzo Seo

このコメントの最初に書いた文章をもう一回書いておきますね。
------
私にも、今日の原発が真に安全であるのかどうか、判断できない。

この疑問を呈するだけで、反原発派と思われてしまい、疑問に対するきちんとした答えが返ってこない。
------
実例は、この前についておりますコメントをご参照ください。


投稿日時:10月25日 21:03

yahoo user 2b4d4

Yuzo Seoさん。

Quick Responseありがとうございます。

私が聞きたいことは、放射線取扱主任者試験に合格しましたか、またはご存知ですかということですが。どうもご存知ないようですね。

とりあえず、検索して過去問を見てください。Seoさんであれば、少し勉強すれば合格点出せます。それからです。

Blogosにコメする人たちは、優秀な人が多いとおもいますが、頭でっかちです。原発なんて、そんな難しい話ではないのですよ。そんな難しいことでも無いのに、大騒ぎになる。これが、問題。こんなことでは、これからのイノベーションが期待できない。IoTやAIも無理。ノーベル賞も期待できない。

これが、私の危惧するところです。


投稿日時:10月25日 21:06

Yuzo Seo

yahoo user 2b4d4さん

> 原発なんて、そんな難しい話ではないのですよ。そんな難しいことでも > 無いのに、大騒ぎになる。これが、問題。

私も、それほど難しい話ではないと思います。

福島の事故直後に、誰もが疑問に感じたことは、なぜ千年に一度の津波が無視されてしまったのか、ということなのですね。

百万年に一度以下の事故確率に抑えていますとのPRは、多くの人の目に触れておりましたから。

なぜこんな簡単な疑問に、何年たっても、誰も答えられないのでしょうか。

こういう疑問が残っておりますと、原発が国民の理解を得ることは難しい。今回の新潟知事選のような事態を避けるためにも、早く何とかしてもらいたい、というのが私の願いです。


投稿日時:10月25日 21:19

xIHkayXttw

Seo様

貴方の質問にきちんと答えるだけでも、字数が足りません。しかも、以前に回答した内容も含まれています。

>現在の原発は、事故の確率をどの程度に抑えることを目標としているのでしょうか?

⇒これも、多くの説明がいる質問です。ここでいう事故とは何を指しているのかによります。以前説明しましたが、事象分類というものがあります。これまでは、運転状態がⅠ~Ⅳがプラントの設計条件で、これを超える事象は安全評価の範疇でした。運転状態Ⅲ以上が事故と分類されます。しかし、貴方の質問は、多分、福一のような過酷事故確率のことののでしょう。世界の安全基準は炉心損傷確率は10E-4/炉年、CV損傷確率は10E-5/炉年でした。新規制基準では、実質、これより2桁小さい確率を求めています。簡単に説明するとすれば、炉心でどんな事象が起ころうが、一般住民の避難が必要のないレベルを要求しているということです。

>また、その際の地震や津波の規模は、どのようにして予測したのでしょうか?

⇒予測ではなく想定です。これも説明が長くなるので、NRAのHPを見て調べて下さい。これも簡単に言えば、活断層を全て連動させ、その持っているエネルギーが一度に全て放出するという想定で地震条件、津波条件を決めていますので、こんなことが起きれば、原発は無事でも、その地方の住居、ビル、道路、橋梁は全て崩壊しますから、ほぼ全滅です。(続く)


投稿日時:10月25日 22:04

xIHkayXttw

(続き)

>ここで、確率とは、事業所単位(たとえば柏崎刈羽原発について)で何年に一度生じるかということで、事故の規模としては、付近に放射性物質が漏えいして、周辺住民が避難を余儀なくされる程度の事故とします。原因には、原子炉本体によるもの以外に自然災害などによるものもを含むこととし、戦争によるものは除外してもよいと思います。

⇒前コメントで説明した通りであり、この質問の答えは10E-7~8/炉年です。

>なぜ私がこんな疑問を持っているかといいますと、福島の事故以前には、百万年に一度以下の事故確率に押さえているとPRしていたのですね。

⇒これには誤解があるのです。百万年に一度という確率は内部要因、即ち、設計、製作、運転ミスなど設置者の責任となる要因での確率です。外部要因(地震、津波など)は原発に限らず、全ての工業製品の共通要因ですから、他の地震、津波の設計条件より厳しくしている、というだけのことなのです。このため、想定外の(設計条件を超える)地震、津波が来れば工業製品は壊滅するのです。事実、福一事故の被曝による人的被害は0ですが、堤防、ビル、道路、橋梁などの工業製品の崩壊で1万9千万人もの命が奪われたのです。(続く)


投稿日時:10月25日 22:15

xIHkayXttw
(続き)

>炉の設計は1千万年に一度の事故確率とし、それが10炉あっても百万年に一度以下であること、地震、津波にも同様な安全対策がとられている、としておりました。しかしながら実際には、千年に一度の津波が無視されていた。この対策さえとられていたら、福島の事故は起こらなかったのですね。そこで、安全目標が徹底されていなかったのでは、という疑問が生じます。保安設備にはお金をかけて対策しているのですから、この程度の安全性は必要と考えていたはずです。でも、地震、津波は無視された。なぜか、そして、いかに改善されたか、これが私の疑問です。

⇒新規制基準での地震、津波条件については、前に説明した通りです。
ただし、この質問にも誤解があります。安全はただではないということです。 東南海地震、津波、東京直下型地震が30年以内に来る確率が70~80%と言う学者がいますが、30年経っても来ていません。ただし、いつかは必ず来ます。それが明日なのか、50年後、100年後、1000年後かは分からないのです。このため、東京、神奈川、静岡、愛知・・・で暮らしている人々の住居、これら都市のビル、鉄道、道路、橋梁の設計条件(耐震性)は、やっと1981年の基準(即ち、阪神大震災、東日本大震災の遥か前)適合のために、公共施設は補強工事をしている段階です。
Seo様の家、近くの建築物の耐震条件をご存知ですか? 大金を掛けて、原発並みの耐震性を確保しますか? 地震津波に対して、原発より大きいリスクを抱えた工業製品(建築物、鉄道・・・)が多くあることを理解し、人にとっての安全確保はどうあるべきかを冷静に考える必要があるのです。


投稿日時:10月25日 22:30

Yuzo Seo

xIHkayXttwさん

長々お答えいただいたのは大変ありがたいのですが、私の疑問に対する回答えは含まれていないようです。

もう一度、簡単に質問を繰り返します。以下の==>に続く「」内にお答えください

(1)今回の新潟知事選挙で問題となりました柏崎刈羽原発の安全性に関して、「何年に一度」の地震・津波を想定した対策がとられているのでしょうか?  ==> 答え「 」年

(2)原発の安全性に関して、百万年に一度の事故確率としているとのPRでは、地震・津波に対しても「同様な」対策がとられていると書かれていたのですが、これは「真実」ですか、「虚偽」ですか ==> 答え「  」

(3)福島原発に置いて千年に一度の津波に対する対処が不要とされた理由は何でしょうか ==> 答え「   」

(4)また、上記対処は適切であったでしょうか、不適切であったでしょか ==>答え「   」

(5)上記対処が不適切である場合、今後適切な処置がなされるように、いかなる改善が行われたのでしょうか ==>答え「    」

ちなみに、私の推察している答えは以下の通りです

(1)10万年とすべきだが、実態は不明。また、対処されたかどうかも不明

(2)経営陣は真実を書いたつもりだったが、現場にこの安全目標が正しく伝わっていなかった

(3)現場の安全目標の誤解により、千年に一度の津波リスクは無視された

(4)不適切であった

(5)行政ともすり合わせた安全目標を数値の形で掲げて全社で共有すべきだが、いまだ実施されていない

xIHkayXttwさんにはぜひご回答頂きたいところですが、他の方の回答も歓迎いたします。


投稿日時:10月25日 23:16

退会者

Yuzo Seoさん、

別のところで結局不毛な議論になりましたね。

自分が期待している回答が来ないと納得しないようですが、ちゃんと相手の言ってる内容を受け止めるべきじゃないでしょうか。きちんと答えてるじゃないですか。素人が設定した枠組みの中で説明せよということ自体が不毛です。


投稿日時:10月26日 00:09

Yuzo Seo

vistapointさん

> 別のところで結局不毛な議論になりましたね。

そうなんですね。まいどのことですが、、、

> きちんと答えてるじゃないですか。素人が設定した枠組みの中で
> 説明せよということ自体が不毛です。

普通の人が、普通に疑問に思うことに、きちんと答えられていない。これが、新潟県の知事選挙でも現れております大問題です。

確かに、専門家がみればこれら回答の中から答が得られるかもしれない。でも、普通の人間に、これは理解困難です。

私は、原発は推進すべきとの立場なのですが、現在の電力会社では、これは無理であるように感じております。なぜなら、普通の人にも理解できるように、原発の安全性を説明できないからなのですね。

これでは、原発立地自治体の理解を得ることも難しく、その結果、原発再稼働にも支障をきたし、日本国民の富が無駄に浪費される。原発立地自治体でまともな知事がその職に就けないことも、重大な問題です。

これを止められるのは、原発を推進する側からのきちんとした説明でしかありえないのですね。

なにぶん、原発反対派は、反対すること自体が商売のネタなのですから、あることないことまくしたてることは当然の業務ではあります。何ゆえに、こんな人たちに、おいしい餌を提供してやらねばならないのでしょうか。

我が国には言論の自由があります。原発反対派の言論を止めさせる手立てはありません。彼らに対抗する手段は、普通の人々にもわかり易く原発の安全性を説明すること、これしかありません。

何でこんなことが、原発を推進する人々にわからないのでしょうか。電力会社にしたところで、さっさと地元の理解を得て、原発の運転を再開したほうが、よほど利益にかなうと思うのですが、、、

これは、共産党やいわゆる「リベラル」を毛嫌いしている私に限らない、ごく普通の考え方だと思うのですが、、、


投稿日時:10月26日 00:42

xIHkayXttw

Seo様

(1)今回の新潟知事選挙で問題となりました柏崎刈羽原発の安全性に関して、「何年に一度」の地震・津波を想定した対策がとられているのでしょうか?  ==> 答え 「40万年」これにも説明がいりますが省略。
(2)原発の安全性に関して、百万年に一度の事故確率としているとのPRでは、地震・津波に対しても「同様な」対策がとられていると書かれていたのですが、これは「真実」ですか、「虚偽」ですか ==> 答え「内部要因に対しては真実」これは回答済み」
(3)福島原発に置いて千年に一度の津波に対する対処が不要とされた理由は何でしょうか ==> 答え「あの規模の津波があの日に来ることを想定していなかったから。(国の防災計画と同じ)」
(4)また、上記対処は適切であったでしょうか、不適切であったでしょか ==>答え「結果的には不適切」ただし、福一原発の事故をもって、原発全てを同じとする考えは間違いであり、熊本地震で古いビルが損壊したから、他の都市のビルも危険なので使用するな、と言っているようなものです。
(5)上記対処が不適切である場合、今後適切な処置がなされるように、いかなる改善が行われたのでしょうか ==>答え「外部要因に対する設計基準が工学的には非常識なほど厳しくなった。」新規制基準を学んでください。
(続く)


投稿日時:10月26日 16:13

xIHkayXttw

(続き) ちなみに、私の推察している答えは以下の通りです

(1)10万年とすべきだが、実態は不明。また、対処されたかどうかも不明⇒間違い。
(2)経営陣は真実を書いたつもりだったが、現場にこの安全目標が正しく伝わっていなかった⇒間違い。
(3)現場の安全目標の誤解により、千年に一度の津波リスクは無視された⇒間違い。
(4)不適切であった⇒正解。
(5)行政ともすり合わせた安全目標を数値の形で掲げて全社で共有すべきだが、いまだ実施されていない⇒間違い。


投稿日時:10月26日 16:14

Yuzo Seo

xIHkayXttwさん

ご回答ありがとうございます。

以下、ご回答に対してコメントいたします。以下、一部は省略しています。

> (1)「何年に一度」の地震・津波を想定した対策がとられて
> いるのでしょうか?  ==> 答え 「40万年」...

これは、重要設備直下の活断層についての話ですね。福島の事故を招いたような、離れた場所の地震・津波に対しても、同様に40万年という基準で対処されているのでしょうか?

> (2)原発の安全性に関して...地震・津波に対しても「同様な」
> 対策がとられていると書かれていたのですが、これは「真実」ですか...
> 答え「内部要因に対しては真実」...

地震・津波に対しても「同様な」対策がとられているとした部分は虚偽であった、ということですね。

> (3)福島原発に置いて千年に一度の津波に対する対処が不要
> とされた理由は何でしょうか ==> 答え「あの規模の津波があの
> 日に来ることを想定していなかったから。(国の防災計画と同じ)」

これにつきましては同意いたします。「あの日」は不要だと思いますが。

> (4)また、上記対処は... ==>答え「結果的には不適切」

これにつきましても同意いたします。

> (5)...いかなる改善が行われたのでしょうか ==>答え「外部
> 要因に対する設計基準が工学的には非常識なほど厳しくなった。」

これは新設する原発に関する話ですね。既存の原発を再稼働する設計基準も、「非常識なほど厳しくなった」のでしょうか?

また、(4)が「結果的には不適切」とされるのであれば、今後は適切な対応がとられるよう、何らかの改善処置が必要ではないでしょうか。

私の推察に対するご評価もいただいておりますが、上に書きました疑問点に鑑みれば、この評価にも疑問があるように私には思われます。


投稿日時:10月26日 18:13

xIHkayXttw

Seo様

最初に断ったように、原発の安全を説明するには、会ってマンツーマンで話しても5~6時間は掛かるのです。BLOGSで書いていても、一般人にきちんと理解してもらうのは無理ですので、もうこれを最後にします。

> (1)「何年に一度」の地震・津波を想定した対策がとられて> いるのでしょうか?  ==> 答え 「40万年」...これは、重要設備直下の活断層についての話ですね。福島の事故を招いたような、離れた場所の地震・津波に対しても、同様に40万年という基準で対処されているのでしょうか?

⇒新規制基準では、重要設備直下の活断層は認めていません。即ち、新設も再稼働もできないのです。原電敦賀2号がこの問題で不当なNRAと散々議論してきました。(原電のHP参照)ですので、40万年というのは離れた場所の活断層のことです。(もっと説明することがありますが省略)

> (2)原発の安全性に関して...地震・津波に対しても「同様な」対策がとられていると書かれていたのですが、これは「真実」ですか...> 答え「内部要因に対しては真実」...地震・津波に対しても「同様な」対策がとられているとした部分は虚偽であった、ということですね。

⇒虚偽ではなく、外部要因はPRAの評価として不確かさが大きいということです。どうしても虚偽と言いたいのであれば、東電ではなく、地震予知連絡会(当時はあの島崎氏が会長)、地震・津波学者、国、土建業界に言うべきことです。(何しろ1万9千人もの命を奪ったのですから)東電福一原発は、あんな事故を起こしても、国の安全基準(250mSv、20000人・Sv)は満足していたのです。(続く)


投稿日時:10月26日 21:43

xIHkayXttw

(続き)

> (3)福島原発に置いて千年に一度の津波に対する対処が不要とされた理由は何でしょうか ==> 答え「あの規模の津波があの日に来ることを想定していなかったから。(国の防災計画と同じ)」

これにつきましては同意いたします。「あの日」は不要だと思いますが。

⇒あの日、即ち日の同定が大事なのです。いつ来るかが同定できているのであれば、自然災害で命を失う人は限りなく0に近付きます。

> (4)また、上記対処は... ==>答え「結果的には不適切」これにつきましても同意いたします。

> (5)...いかなる改善が行われたのでしょうか ==>答え「外部 要因に対する設計基準が工学的には非常識なほど厳しくなった。」これは新設する原発に関する話ですね。既存の原発を再稼働する設計基準も、「非常識なほど厳しくなった」のでしょうか?

⇒本来は、新設プラントに対する基準ですが、法的根拠のないバックフィットで、既設原発の再稼働条件にしたのです。これが新規制基準適合性審査です。(こんなことも知らないのにはびっくりです)

>また、(4)が「結果的には不適切」とされるのであれば、今後は適切な対応がとられるよう、何らかの改善処置が必要ではないでしょうか。私の推察に対するご評価もいただいておりますが、上に書きました疑問点に鑑みれば、この評価にも疑問があるように私には思われます。

⇒ですから、改善処置をしていると、ず~と説明してきました。


投稿日時:10月26日 21:50

Yuzo Seo

xIHkayXttwさん

> 最初に断ったように、原発の安全を説明するには、会ってマンツーマンで
> 話しても5~6時間は掛かるのです。BLOGSで書いていても、一般人
> にきちんと理解してもらうのは無理ですので、もうこれを最後にします。

これが大変難しいであろうことは、私も理解しております。でも一般人の不安を取り除かない以上、新潟県知事選挙のようなことは繰り返されてしまう。私が最大の問題と考えておりますのはその点です。

福島で事故が起こってしまった以上、多くの人が原発を不安視するのはやむを得ないでしょう。専門家に対する信頼も失われてしまった。だから高名な学者が「安全です」と宣言したところで、多くの人に納得してもらうことは困難なのですね。

結局のところ、こまごました疑問に、それがいかにくだらないものであろうとも、答えていくことでしか、この不安は取り除けないでしょう。

これを簡単にあきらめてしまったら、この先も、原発の再稼働には様々な支障が現れることは避けられません。

福島の事故に関していえば、地域住民の被った損害も絶大ではありましたが、超一流企業であった東京電力が実質的に破たんしてしまうという、企業の側からみても、その損失は絶大でした。

なぜそんなことが起こったのか、いかにすれば再発を防止できるか、ということは、電力会社自身にとっても大きな課題であるはずです。

そして、運命の岐路が、千年に一度の津波を無視してしまったところにあり、なぜそんなことが起きてしまったのか、どうしたらこれを防げるかという点は、企業にとっても重大な関心事であるはずなのですね。

航空機事故でいえば、パイロットのミスが原因である場合も、なにがパイロットのミスを招いたかというところまで解明しないと事故は防げない。同様な分析が福島の事故にも必要だったのではないか、と考えている次第です。


投稿日時:10月26日 22:38

Isao Matsumoto

原子力の性質からして絶対に安全というのは不可能だと思いますが、 当面の間はだましだましでも使っていくしかない、というのは、ダメなんでしょうか。


投稿日時:10月27日 00:45

Yuzo Seo

Isao Matsumotoさん

> 原子力の性質からして絶対に安全というのは不可能だと思いますが、
> 当面の間はだましだましでも使っていくしかない、というのは、ダメなんでしょうか。

それはアリだと思います。

シビアアクシデント確率を10万炉年に1度以下を目標にすべき、とIAEAは推奨しておりますが、これは、多数の原子炉を長期にわたり運転する際の話であると、私は理解しております。

この確率であれば、100の原子炉を運転すれば、1000年に1度の事故確率となり、100年以内にいずれかの原子炉が事故を起こす確率は10%以下と、まずまず妥当なレベルに収まります。

我が国で、原子炉の総数を30以内に制限し、運転期間を今後30年以内とするならば、1万炉年に1度以下のシビアアクシデント確率であっても、国内の原発が事故を起こす確率は同程度となります。

今回のxIHkayXttwさんの一連のご回答からでも、果たして現行の原発のシビアアクシデント確率がどの程度にコントロールされているかという確信は、残念ながら得られませんでした。

しかしながら、最悪でも、1千炉年に一度程度までは(これまでの事故の実績からも)確保されているはずであり、運転を10炉10年に制限するなら、何の対策もせずに運転を再開することも許されるのでしょう。

現在のシビアアクシデント確率は、これよりは改善されているはずなのですね。

「だましだまし」が、住民をだます、という意味であれば許されるものではありませんが、危険性をきちんと把握して、社会的な許容範囲で運転する、という意味であれば、これは十分に検討に値する、と私は考えております。

とはいえ、こういうことをするにも、まず数値をきちんと把握するところから始めなくてはいけません。

専門家の方々が、なぜこれをしないのかが、私には不思議なのですね。


投稿日時:10月27日 06:59

xIHkayXttw

Seo様

貴方が考えているようなことは、専門家は当然行っています。

貴方が知らない、理解できていないだけです。

一般の人に理解してもらうための活動は、原子力学会のSNWや、原子力国民会議などで行っていますが、日本全体からみれば、あまりにも少人数です。メディアが正しい情報を流し、メディアを使って一般人に解説する機会がない限り無理です。

何度も紹介していますが、GEPR、IEEI、IOJ、原子力国民会議、エネルギー問題にはつげんする会、日本エネルギー会議などのHPを見て、基本的な情報を集め、NRAで公開されている新規制基準適合性審査の資料を読んで下さい。

Seo様の分かろうとする姿勢は評価しますが、工学、安全に関する基本情報が不足しているようです。


投稿日時:10月27日 22:47

Yuzo Seo

xIHkayXttwさん

> 貴方が考えているようなことは、専門家は当然行っています。
>
> 貴方が知らない、理解できていないだけです。

私が知らないだけならさしたる問題でもないのですが、国民の多くが知らない、理解できていない、これが大問題なのですね。

その結果、反原発知事が新潟に誕生してしまった。原発再開に対する地元の理解も得られない。それでよしと考えておられるのでしょうか。

はっきり言えば、我が国の原発は安倍政権の足を引っ張っております。この結果、共産党を含む左翼勢力に少なからぬ力を与えてしまっております。

こんなことは、いい加減に止めにしてもらいたい。これが私が最も言いたいことなのですね。

原子力は、安全に扱うこともできるし、おそらく、これを国民にわかり易く説明することもできるのでしょう。でも、専門的な文書を読めというばかりで、なぜわかり易い説明をしようとしないのか、この点が最も疑問なところなのですね。

これをしないものだから、もしかすると、安全であることをわかり易く説明できない事情があるのではなかろうか(つまり、本当は許されないほど危険な存在なのではなかろうか)、との疑念が、私の中にも生まれてしまうのですね。

多くの国民や原発周辺の住民においても、同様なことが起きているのではないでしょうか。

これは、原発を推進する電力会社やその関係者にとっても、由々しき事態であると思うのですが、、、


投稿日時:10月27日 23:57

邪悪な生物

素人ながらには

リスク評価を一般工業製品以上にどんなに頑張っても、

メルトスルーした後に、復旧する目処が永遠とつかず、その地域の復興も永遠にできなくなる技術など活用すべきでない

人の死には冥福を祈って、より良い世界を願えるが、福島にいったいどんな希望が見いだせているのだろうか

福島に希望が見いだせなければ、どんなに過剰な設計を施して、過剰な安全をアピールしても虚しいだけではなかろうか


投稿日時:10月28日 13:23

xIHkayXttw

X2013様

>リスク評価を一般工業製品以上にどんなに頑張っても、メルトスルーした後に、復旧する目処が永遠とつかず、その地域の復興も永遠にできなくなる技術など活用すべきでない

⇒永遠にできない、という根拠は??? 素人と言っても、言う以上、正しい情報に基づいて、発言しましょう。根拠のないことを言うことが風評被害を生み、被害者を傷つけるのです。

>人の死には冥福を祈って、より良い世界を願えるが、福島にいったいどんな希望が見いだせているのだろうか

⇒人の死を軽んじていませんか? 大川小学校の津波被害の地裁判決がありましたが、津波であれ、交通事故であれ、病気であれ、幼い命を奪われた両親、家族の気持ちは冥福を祈って済まさせるものではありません。福島は、普通に暮らしています。即ち、ほかの都道府県と同様、希望のある人もない人も、見出せる人も見出せない人も同じようにいるだけです。

>福島に希望が見いだせなければ、どんなに過剰な設計を施して、過剰な安全をアピールしても虚しいだけではなかろうか

⇒前提の「希望が見いだせなければ」が間違っています。


投稿日時:10月28日 14:14

xIHkayXttw

Seo様

工学、技術的なQ&Aではなくなったので、後は、正しい間違いの問題ではなく、個人が自由に考え、思えば良い問題です。

>私が知らないだけならさしたる問題でもないのですが、国民の多くが知らない、理解できていない、これが大問題なのですね。

⇒当方も同意します。ただし、前述の通り、メディアの報道姿勢の問題です。(学会、電力、メーカも色々理解を得る努力は続けていますが、メディアの影響力には遠く及びません)

>その結果、反原発知事が新潟に誕生してしまった。原発再開に対する地元の理解も得られない。それでよしと考えておられるのでしょうか。

⇒良しと考えてはいませんが、その地域の民度、生業、風土もあって仕方のないことだと思います。

>はっきり言えば、我が国の原発は安倍政権の足を引っ張っております。この結果、共産党を含む左翼勢力に少なからぬ力を与えてしまっております。こんなことは、いい加減に止めにしてもらいたい。これが私が最も言いたいことなのですね。

⇒貴方の思いとして受け止めておきます。

>原子力は、安全に扱うこともできるし、おそらく、これを国民にわかり易く説明することもできるのでしょう。でも、専門的な文書を読めというばかりで、なぜわかり易い説明をしようとしないのか、この点が最も疑問なところなのですね。

⇒分り易い説明を多くの国民にする機会が少ない、と言っているのです。前述の通り、説明会は多く実施してきています。(続く)


投稿日時:10月28日 14:29

xIHkayXttw

(続き)

>これをしないものだから、もしかすると、安全であることをわかり易く説明できない事情があるのではなかろうか(つまり、本当は許されないほど危険な存在なのではなかろうか)、との疑念が、私の中にも生まれてしまうのですね。

⇒しているのですが、説明を受けた国民が圧倒的に少ないということです。  SNW(シニアネットワーク)のHPにアクセスして、是非、いついつに、どこどこで、何々に対し説明してくれ、と申し入れてみて下さい。前向きに検討してくれるはずです。

>多くの国民や原発周辺の住民においても、同様なことが起きているのではないでしょうか。これは、原発を推進する電力会社やその関係者にとっても、由々しき事態であると思うのですが、、、

⇒Seo様は、説明してきていないという前提で主張していますが、前述のとおり、電力も、メーカも、学会も説明はしてきているのです。ただし、これまでで累積でも100万人には遥かに届かないと思います。しかも、説明したら分かったという人は、説明を聞いた人の1/4以下です。当方の経験では、若い人は理解してくれる割合が高く、歳を取るほど理解度は下がる傾向があります。また、広島、長崎、原発立地住民は、基礎知識と関心が高いためか、理解度は高いです。


投稿日時:10月28日 14:36

邪悪な生物

匿名さん

>永遠にできない、という根拠は??? 素人と言っても、言う以上、正しい情報に基づいて、発言しましょう。根拠のないことを言うことが風評被害を生み、被害者を傷つけるのです。

正しい情報ですか。。私の意見はネットやテレビの情報からの印象ですが情報の正誤がいまいちピンとこないので、もう少し突っ込んで意見してみます。

具体的には廃炉までとりあえず30~40年ですか。いま立ち入れない区域って復興以前にやらねばならないこと沢山ですよね。海側凍土壁から始めて今月漸く成功しだしたんですよね。計画が一歩づつでも着実に進んでいることは良いことですが、計画して失敗して見直してを繰り返す現状の印象から永遠という言葉を用いました。一般人の目にはそう映っている人が居るんだなととでも思ってください。

書きながら気付きました。技術論でなく印象論で申し訳ないのですが「永遠」とは私のもつ「印象」です。

個人的には福島の後始末や復興の進捗がもっと推進するなら原発賛成してもいいと思えます。原発ってしくじった時の後始末がなかなかつかない印象がどうにも強いんですが誤解なんでしょうかね。津波被害の復興と大差ないのだろうか。

>⇒人の死を軽んじていませんか? 

軽んじてはいませんよ

>大川小学校の津波被害の地裁判決がありましたが、津波であれ、交通事故であれ、病気であれ、幼い命を奪われた両親、家族の気持ちは冥福を祈って済まさせるものではありません。

そうですね、大川小学校は償っていかなければならないですね。

>福島は、普通に暮らしています。

少し細かな話、浪江町とか普通に暮らせないですよね。

>即ち、ほかの都道府県と同様、希望のある人もない人も、見出せる人も見出せない人も同じようにいるだけです。

たしかに人は移住すれば良いですね。地域や故郷、思い入れは移動できないですけど。


投稿日時:10月28日 19:05

邪悪な生物

福島県外に住む私ですが、事故以前は福島移住も朧気ながら考えていたんですよ。地震も少なく良い土地だなあという印象だったので。福島に住まわれているかたにも「そうでない人」にも福島への希望はったはずですよ。ひとつの事実として私が過去に抱いた希望はいまだに回復されません。

<前提の「希望が見いだせなければ」が間違っています。

上記の通りです。私と同じ人がどれだけ居るかは判りませんが、忌憚のない意見として残しておきます。