コンテンツへスキップ

「日本的霊性」の「われ一人」と「大地」

前回に続き、鈴木大拙師の「日本的霊性」を読みます。本日のテーマは、「われ一人」と「大地」です。これらは鈴木大拙師の禅の思想の中核をなすものであるようにも思われます。

われ一人

86ページからの以下の部分は、非常に哲学的な部分であるともいえます。すべては、私のためである、という意味は、利己的という意味ではなく、主観の中に基礎を置かなくてはいけないというこでしょう。そしてこれを認識した人が「超個の人」となります。以前のブログで読みました「仏教の大意」には、鈴木大拙が影響を与えた一人にハイデガーの名がありましたが、確かにこの「超個」は“Dasein”にも通ずるように思えます。この部分を以下に引用いたします。

この超個のが本当の個己である。『歎異抄』にある「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり」と言う、この親鸞一人である。また、『百条法話随聞記』(渋谷山徒永元釈教道の著)にある「この界にわろき者はわれ一人、地獄へ行くもわれ一人、浄土にまいるもわれ一人、一切みな一人一人と覚えにける」というこの一人である。真宗の信者はこの一人に徹底することによりて、日本的霊性の動きを体認するのである。

超個の(これを「超個己」と言っておく)が個己の一人一人であり、この一人一人が超個のにほかならぬという自覚は、日本的霊性でのみ経験せられたのである。インドで発展した浄土系思想は、シナへ来て一宗建立の基礎概念となったが、千年以上の日月を経過しても、真宗的浄土思想には転出しなかった。シナ民族の心理には超個己即個己、個己即超個己の端的を攫むものが十分に出現し得なかった。

この部分、英語版では次のようになっております。

The supra-individual Person is the genuine individual, the "one individual person, Shinran," in the following passage:
When I reflect deeply on Amida's Original Prayer which issues from his meditation for five long kalpas, I realize that it was solely for the sake of this one individual person, Shinran. (Tannisho)

This Person appears as well in the Hyakujo kowa zuimonki.

I alone in this world am evil, I alone will go to Hell, I alone will go to heaven. In all things, I realize, it is each one alone, one by one.

Shin believers who thoroughly embody this Person understand experientially the movement of Japanese spirituality.

......

The realization that the supra-individual Person is none other than each individual, and that these individuals one by one are none other than the supra-individual Person, was experienced only by Japanese spirituality.

Although the Pure Land thought developed in India became the basis for the formation of the sect in China, even after the passage of over a thousand years it did not evolve into a Pure Land thought comparable to that of the Shin sect. There did not sufficiently appear in the Chinese mentality something capable of grasping the reality that supraindividual self is individual self and individual self is supra-individual self.

大地

前回のご紹介で、鎌倉時代に日本的霊性が覚醒したのは、平安貴族が大地と距離を置いていたのに対して鎌倉武士は大地と密接にかかわりあっていたからである、ということをご紹介したのですが、大地につきましては歎異抄を解説する形で92ページ以降に詳しく議論されています。

この教文でうかがい知られることは、第一に親鸞の宗旨の具象的根拠は大地に在ることである。大地というのは田舎の義、百姓農夫の義、知恵分別に対照する義、起きるも仆(たお)れるも悉くここにおいてするの義である。

大地が政治的・経済的に意味をもつものである事実は言うまでもないのであるが、またこの事実によりて、大地は我らの肉体そのものであることも了解できるであろうが、親鸞宗の大地はその宗教的意義すなわちその霊性的価値である。

この価値は京都的公家的上皮部文化からは出てこないのである。「おのおの十余か国のさかいをこえて、身命をかえりみずして、たずねきたらしめ給う」というのは、決して徒爾(とじ)ではないのである。

時代の背景を想像して、常陸地方からはるばる上京して来た田舎の人々を考えて見ると、親鸞と彼らとの関係が決して概念的・形而上学的・言語文字的なものではないということが看取せられる。かれらのつながりは大地的であったのである。

「南都北嶺の学者たち」のあいだでは見られなかったものがここに在ると言わなければならぬ。親鸞が京都を離れる機縁を失っていたなら、こんなにまで彼の心は大地に食い込まなかったであろう。

英訳は以下の通りです。

This shows that the concrete foundation for Shinran's sect exists in the earth, in the rural areas among the peasants and farmers, directly opposite intellectual discrimination. Here is where they rise and here is where they fall.

That the earth has political and economic significance goes without saying. That by virtue of this the earth is man's very body should also be comprehensible. But in Shinran's sect the earth itself is its religious significance, its spiritual value.

This value did not, and could not, emerge from a superficial, Kyoto-bound, aristocratic culture. The words of the Tannisha, "Your ... coming here after a long journey through more than ten provinces even at risk of your lives ... " are not mere verbiage.

If we can imagine these rural people traveling the great distances from homes in far-off Hitachi to Kyoto, we can grasp the idea that their relation to Shinrnn was not in the least conceptual, metaphysical, or verbal but was bound to the earth.

What does not appear among the 'scholars of Nara and Hiei must be said to exist here. Shinran's heart would not have been so deep-seated in the earth had he not had the chance to leave Kyoto.

ここで、「大地的」なる概念が語られております。それは、概念的・形而上学的・言語文字的なものではない、それ以前の生の世界であり、人の肉体と大地との有機的結びつきにより我々の命をつなげている世界、フッサールの言う生活世界(life world)に極めて近い世界といっても、大きな間違いではないでしょう。

また、「真宗」の他に「親鸞宗」の語が見えますが、これらは同じ意味で、親鸞の開いた宗派という意味で「親鸞宗」としているのでしょう。なお、「真宗」と同じ意味で「浄土真宗」が広く使用されています。これは、Yahoo知恵袋によりますと、浄土真宗本願寺派だけに浄土がつき、他の宗派(真宗大谷派、真宗高田派など)には「浄土」はつかないということです。

われ一人と大地の結びつき

97ページからの「6.霊性のまことと深さ--一人」では、「ひとえに親鸞一人がためなりけり」という言葉について解説がなされます。結局のところ、超個人という概念は、西洋の哲学でいう主体ないし主観に対応すると考えて良さそうです。この部分、98ページ以降を引用いたしますと次のようになります。

この一人は大地によりて象徴せられるが、いちばん手近なのである。大地の具体性が即ち一人の具体性――他のものではどうしても置換えられぬ性格――である。

花鳥風月では四季の移り変わりがある。その移り変わりが「物のあわれ」の心理に呼応するのであるが、そこには大地の鈍重性・常住普遍性・四季無頓着性などというべきものがない。時々刻々にその姿を変えるところに、感性は動き情性は戦(おのの)くのである。これが大宮人の歌よみ心である。

霊性はこの心を打破してからでないと現れぬ。花鳥風月を支える大地に撞着するとき、霊性は輝き出るのである。一人の具体性はまた一人の実在性である。これは人間が大地に還るとき、初めて体認せられる。大宮人の住むちょうみやこには大地はない。これは鄙人(ひなびと)の踏まえるところである。

日本霊性は鄙人の胸に花咲く。みやこの親鸞は、ひとたび鄙人の愚禿にならなければならぬ。「藤井善信(ふじいよしざね)」は必ずしも配残の身に加えられた汚辱ではなくて、親鸞の霊性を覚醒さする呼名であったのである。

英文は以下の通りです。

This Person may best be symbolized by the earth. The concreteness of the earth and the concreteness of the Person are identical, and cannot be replaced by anything else.

The beauty of the natural world embraces the four changing seasons, and this movement acts in concert with the mentality of mono no aware. But within it there is nothing possessed of the imperturbability, the constant unchangeableness, the indifference to season, of the earth. With the earth's momentary changes of aspect man's sensitivity stirs and his emotions rise-this is the poetry-composing heart of the courtier.

Unless this heart is broken asunder spirituality does not appear. Spirituality shines forth when one encounters the earth that sustains the beauties of nature. The concreteness of the Person is at the same time the Person's reality. This is existentially understood only when man returns to the earth. Where the courtiers lived there was no earth. It was found where the common people walked.

It was in their hearts and minds that spirituality flowered. It was essential for Shinran of the capital to become a humble gutoku, a bald-headed, simple-hearted country man. When he was sent into exile he was divested of his priesthood and given the secular name Fujii Yoshizane. For him the assumption of this name meant not disgrace, it was the title that was to awaken his spirituality.

超個人、つまるところは霊性を獲得した主体とは、既成概念を離れた、物から直接に感じとられる直観的な感覚をつかむ存在であり、その獲得のためには大地との対話が必要である、ということなのでしょう。

西洋哲学との関係

基本的に、禅が求めるものは、論理言語を超越した直覚であり、カントの悟性に相当する感覚が日本的霊性ということであるように思えます。

鈴木大拙と、カントと、フッサール、そしてニーチェは、みな同じようなことを主張しております。この部分、言語化・論理化が不可能な領域であり、ヴィトゲンシュタインが論理世界の外部にあるとその著「論理哲学論考」で述べた世界でもあります。

言語化できない世界だから扱わないというのが、ヴィトゲンシュタインの立場であり、これはこれで明確な立場であるといえるでしょう。

一方、カントの「もの自体」という概念は、鈴木大拙の言う大地に近い概念であるように思えるのですが、カントはこれを知ることができない、としております。実際問題として、われわれが物自体に五感をはたらかせて得ているのは、感覚器官のこちら側の姿であり、向こう側の姿ではありません。そして、われわれが得ているのは、もの自体が持つ膨大な量の情報のうちのごくわずかなものに過ぎません。

でも、それらのわずかな情報から、われわれは物自体を知る。少なくとも、知ったと考えております。実際のところは人の知性が推論によって外界を把握しているのですが、無意識のうちに推論を行う我々の知性の働き、つまりは、カントのいう悟性は、鈴木大拙がいう日本的霊性とほとんど同じ働きをしています。少なくとも、われわれが無意識におこなう推論のうち高水準のものは、日本的霊性と同じものとみなして差し支えないように思われます。

フッサールの生活世界につきましては、私自身、あまり詳しく把握しておりません。フッサールは多数の著作があるうえ、それぞれが極めて難解です。そして生活世界はフッサールは全てがその上に形成される出発点と認識しているようなのですが、フッサールの思想のうちでこの部分はあまりメジャーな部分ではないという問題もあり、明確な議論は難しいのですが、主客分離以前の姿を捉えようとする禅の基本的立場は、生活世界を意識するフッサールに相通ずるものがあります。

日本思想の高みを求めて

ニーチェにつきましては、以前のブログでご紹介しました悲劇の誕生で論じられておりますディオニュソス的なるものが日本的霊性に対応しているのでしょう。ただし、ニーチェの場合は、音楽などによる陶酔の世界ということで、大地と向かい合う姿とはかなり異なりますが、知性に対比された人の思考様式という点では、日本的霊性に相通ずるものがあります。

以前のブログでご紹介しました、小熊英二著「単一民族神話の起源」の以下の記述をみますとき、和辻がニーチェの「善悪の彼岸」に日本的霊性と同じものがあることを見出し、そこに西洋や中国の普遍主義に対抗し得る日本文化を形成するための論理的基盤を求めている様子がうかがえるように思えます。

本居と儒学者の対立を「『善悪の彼岸』と『普遍妥当の道徳』との対立」と表現した和辻は、中国文明の影響をのぞいた日本を求めた津田や、西洋近代の普遍主義の前に日本の独自性が危機にさらされていると考えた柳田と、同じ地点に立ったと推測される。形式道徳や普遍主義に対し、共同体の土着文化や自然な生を賞賛することは、柳田や津田にもみられたことであった。ただ、柳田は普遍主義の象徴を欧米(大陸)に、津田は形式道徳の象徴を中国に投影した。和辻の場合は、欧米と中国の双方にそれをみいだしたのである

ここまで読み込んでまいりますと、西洋哲学の到達点と鈴木大拙の思想のあいだに相当な共通点があり、これらを鍵に西洋哲学をまとめ直せば、カントやフッサールの思想をさらに発展させることができるのかも知れません。

これは、和辻をはじめとする近代日本の思想家たちが希求した道でもあるように、私には思えてならないのですね。

まあ、すぐにどうこうなるようなものでもないのですが、そうした大きな世界が見えてくる、大拙師の書物から、そんな印象を受けた次第です。


2019.1.21追記:カントやフッサールの思想に鈴木大拙師の味付けを加えてまとめ直す、ということをやりましたのが、実は、ハイデガーでした。これにつきましては、のちのブログに記述しておりますので、ご一読ください。


続きはこちらです。


英語版はここにあるようです。


2018.11.10追記:親鸞の配流されたのは越後国国府(現、新潟県上越市)だとか。

実は私、最初に就職した時、直江津の工場(現在の上越市)に配属されてしまったのですね。ここ、その会社の中でも、かなり辺境の地で、多くの人に嫌われていた場所。そこに配置された新入社員が次々と辞めて問題になったりしておりました。

最近になって、知人にこの親鸞の話をしたら、あんたもそうだったということですか?などと言われてしまったのですが、そういえば、私も上越市に流された(!?)こともあったのだ、などという気にもなりました。

ひょっとすると今の私が今の私であるのは、あの時に悲惨な時を過ごしていたからではないか、なんて気もしてきたのですね。

そういえば、デカルトも同じような経験をしたこと、「デカルトと、目玉焼きに関する省察」なるエントリーに書かせていただきました。もっとも彼は、自分の意志で旅に出たのですが、、、

ところで、「『おのおの十余か国のさかいをこえて、身命をかえりみずして、たずねきたらしめ給う』というのは、決して徒爾(とじ)ではないのである。」の部分ですが、この部分、まるで、イケハヤ師の書生の人たちを描写しているようにも思えます。

つまりは、全国から土佐本山町に来る若者がいる。彼らがイケハヤ師の餌食になるとしたら気の毒な話ではあるのですが、彼らが掴むものは、実は、イケハヤ師が与えるのではなく、彼ら自身が見出さなくてはいけないものなのではないか、などという気もするのですね。

なにぶん、親鸞にしたところで、ひとえに親鸞一人がためなりけりなのですから。

まあ、サイコパスだと少々問題だけど、「われ一人」も、似たようなものであるのかもしれません。

所詮、人は皆われ一人。他人はきっかけに過ぎず、最終的にすべては、おのれが見出すしかない。そしてそこが、他に何もない「大地」であれば、ひょっとすると、何かをつかむきっかけになる。

最近、ちょっと、イケハヤ師には批判的な感覚が増しているのですが、ひょっとすると、彼はなかなかのものであるのかもしれない。

まあ、もうちょっと、見守ることといたしましょう。