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アンチの効用

イケハヤ師、また炎上芸(嫌われる技術)を噴かしておられますけど、あまり迫力がありません。ひょっとして、ご本人ではない、チームイケハヤの仕事でしょうか?

イケハヤ師の主張は、ひと言でいえば「嫌われると宣伝になる」ということですけど、これって巷に言う炎上芸、つまりは、「炎上させることによってアクセスを稼ぐ」ということですよね。

これではあまり目新しくもないし、一般受けもしそうにない。まあ、ブログで稼ぐ技術としてならありかもしれませんけど、イケハヤ師くらい図太い人でないと、精神的なダメージを受けてしまうのではなかろうか、などと余計な心配をしてしまいます。

アンチの効用、今回注目しましたのは、このブログで「天才を殺す凡人と、これからの経営」と題して以前扱いました北野氏の「凡人が、天才を殺すことがある理由。ーどう社会から「天才」を守るか?」というエントリーとの類似性です。この中で、北野氏は、天才の評価軸として凡人の反発が使えるのではないか、と提案され、以下のように述べておられます。

問題は「創造性」である。

言い換えれば「天才か、どうか」を、指標で測る方法がないことである。

創造性は、直接観測できないが、凡人からの「反発の量」で間接的に測ることができる

結論をいうと「創造性」は、直接観測することはできない。そもそも、創造的なものとは、既存の枠組みに当てはまらないため、フレームが存在しないからだ。

しかし、ある方法を使えば、“間接的”には観測することができる。それが「反発の量」である。

これはAirbnbの例が分かりやすい。AirbnbやUberは、リリースされた時、社会から「強烈な反発」を受けた。あるいは、優れた芸術には、ある種の「恐さ」が必要と言われる。つまり、凡人の感情を観測すれば、「創造性」が間接的に観測可能なのである。

これをビジネス文脈でいうと、こうだ。

本来、企業は、破壊的なイノベーションを起こすには「反発の量(と深さ)」をKPIに置くべきであるが、これは普通できない。なぜなら、大企業は「多くの凡人(=普通の人)によって支えられているビジネス」だからだ。反発の量をKPIに起き、加速させることは、自分の会社を潰すリスクになる。これが、破壊的イノベーションの理論(クレイトンクリステンセン)を人間力学から解説した構造になる。

では、どうすればいいのか? どう天才を守ればいいのか?

北野氏は、このリスクを回避するのは、アンバサダーと彼が呼ぶ天才を理解できる人物の存在であるとして、さまざまなアンバサダーの類型を説明されるのですが、この部分は今回の議論とは別ですので、今は置いておくことといたします。

上の議論で面白い点は、新しい技術や優れた芸術は社会の反発を招く場合が多い、という点なのですね。

なぜこうなるか、ということは、逆に考えるとわかりやすい。

つまり、新しい技術というのは、それまでの社会に存在しない技術なのだけど、なぜそれが存在していなかったかといえば、それが社会の反発を招くものであったから誰もやろうとはしなかった、というケースが多々ある、ということでしょう。

そしてその社会の反発が、合理的なものであるなら致し方ありませんが、思い込みによるもの、単に習慣に反するというだけの理由など、反発自体にさしたる根拠がない場合には、この新しい技術は社会の反発を押さえて、いずれは一般化する。

そして、根拠のない反発によって参入が抑制されている分野は、いわゆるブルーオーシャンであって、ビジネスチャンスでもあるというわけだ。

なるほど、イケハヤ師の狙いはそこにあるというわけですね。そしてこのような狙い方は、さほどの特殊能力も必要としない、ということも言えそうです。そこに必要な能力は、イケハヤ師いわく「嫌われる技術」だけなのですから。その嫌われる技術ですが、実のところ、凡人の批判は気にしない、耳を貸さない、という程度のものでしょう。

そうなりますと、以前のこのブログ「堀江貴文著「99%の会社はいらない」を読む」で紹介いたしました堀江氏の以下の言葉も、なるほどと思えてまいります。

確かに、夏野さんや成毛さん、佐渡島君を真似するのはハードルが高いかもしれない。それでもイケダハヤトさんやはあちゅうさんのような普通の人をパクるのはそんなに難しくない。

彼らをパクるために必要な技術は、「嫌われる技術」というわけだ。なるほど、面白いですね。