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先日のこのブログで、デカルトの「エゴ・コギト・エルゴ・スム(ego cogito, ergo sum)」はトートロジーだ、なんてことを書いてしまったのですが、もしかするとこれはもっと意味のある論理だったかも知れません。ここでは、この点に関して、少し考えてみましょう。 ... "コギトの論理、再考" を続けて読む