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Chikirin氏の10/18付けBLOGOS記事「日本がなんど沖縄を踏みにじってきたか、数えてみた」へのコメント

Chikirin氏の10/18付けBLOGOS記事「日本がなんど沖縄を踏みにじってきたか、数えてみた」にコメントしました。


今日の常識で考えれば、日本はひどいことをやってきた。でも、明治維新の頃の日本を取り巻く世界情勢は、実は危機的状況にあったのですね。

明治維新は1868年なのですが、米国の南北戦争は1865年までやっており、奴隷制存続の可否を争っていた。中国とイギリスのアヘン戦争が終わったのは1842年だけど、そもそもは英国の麻薬商売を中国に認めさせるための戦争でした。今の常識からみれば、英国も米国も、北朝鮮がしっぽを巻いて逃げ出しそうな、悪の枢軸であったのですね。

当時の日本人はこれらの世界情勢を目の当たりにみているわけで、少々のことにかまってはおられない、という事情があったのですね。

最終的に太平洋戦争で負けたことは、言い訳のしようもないけれど、それまでの過程においては、日本は奇跡的にうまく動いてきたことも忘れてはいけません。

つまり、世界は弱肉強食のジャングルの掟の元に動いており、我が国は食われる側から喰う側に回った。食われる側にとってはとんでもない話であるにせよ、これがその時代のルールだし正義だったことを忘れてはいけません。

今という時代はまた別のルールで弱肉強食の争いがおこなわれている。ここにおいても、当然のことながら、我が国は食う側に回らなくちゃいけない。これが冷徹な事実だということを忘れちゃいけません。


他の方のコメントに返信しました。

Mamima Tatita

室町時代、明、清、李王朝、琉球王国??

そんな中途半端な時代じゃなく、いっそのこと隋、唐、いや殷(紀元前17世紀頃 - 紀元前1046年)まで遡れば(笑)


瀬尾 雄三

古墳時代には、日本は国境というものを意識していなかった。

朝鮮半島にせよ南方の諸島にせよ、どこまでが倭人でどこまでが他民族なのか、判然としていなかったのですね。まあ、まつろ(服)わぬ民が周辺地域にはいたわけですが、それは東北地方も同じであったわけです。

で、沖縄ですが、元々の日本人のルーツの一つが南方諸島であって、沖縄の人たちが日本人の祖先の一つとなっております。沖縄人が日本に進出したといってもよいかもしれません。

まあ、その後、半島から来た人たちが相当に混じっているのではありますが、、、

沖縄を、現地の人は「うちなー」と発音するのですが、古墳時代の大和でも、今日“o”音で発音する言葉を“u”音で発音していた様子がうかがえます。

たとえば魏志倭人伝は、傍国として多数の国名を列挙しているのですが、最後の“国”の前に”奴”という文字が多数みられます。これは、今日の日本で国名を指すときの“…の国”に相当していると思われるのですが、“奴”の発音は“ぬ”であり、当時の日本人が今日の“o”を“u”と発音していたことを示唆しております。

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次有斯馬國、…次有蘇奴國、 次有呼邑國、次有華奴蘇奴國、次有鬼國、次有爲吾國、次有鬼奴國、 次有邪馬國、次有躬臣國、次有巴利國、次有支惟國、次有烏奴國、次有奴國。 此女王境界所盡。

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そういえば、「邪馬國」と「巴利國」の間に「躬臣國」というのがあるのですが、この国名がおおむね位置の順に並んでいるとすると、大和と播磨の間の国が「躬臣(クウシ)國」ということになるのですね。

で、o音とu音の入れ替えを念頭に考えますと、これは河内ではないかとも考えられる。つまり、河内(かわうち)⇒(こうち)⇒(くうち)⇒「躬臣(クウシ)國」というわけ。

沖縄に残る日本語が昔を知る手掛かりになる。この地は日本とつながっております。

1 thought on “Chikirin氏の10/18付けBLOGOS記事「日本がなんど沖縄を踏みにじってきたか、数えてみた」へのコメント

  1. mi.mino

    現代においての倫理をを過去に当てハメてはいけません。
    沖縄だって、沖縄内でいくつもの争いがあったのを知らないのでしょうね?

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