音喜多駿氏の12/10付けBLOGOS記事「傍若無人の立憲民主党、相関関係と因果関係を取り違えて官僚を圧迫し、論文著者に諭される」にコメントしました。
この論文は、確かに相関関係を示しているだけなのですが、読者に因果関係があると誤解させる書き方であることも事実です。そういう意味では、今回の誤読の原因は、論文の記述が適切ではない点にあるともいえ、立民議員だけを責めるのも気の毒であるような気がいたします。
論文の著者が何を考えているかは想像の域を出ないのですが、このような誤解を与える書き方を意図的にしているのではないか、との邪推を招いてしまうことは避けられません。
つまり、因果関係があると思わせぶりな記述をすれば、マスコミや野党議員の誤解することが期待され、論文が注目を集めることとなる。これが図星であるなら、今回の立民議員は、この仕掛けにまんまと引っかかったわけで、ちょっとひどい話ではあります。
とはいえ、論文は読み手にも一定のレベルを要求するものであり、今回の立民議員は、そのレベルに達していなかったことも事実であるわけで、ここは非難されることも致し方ないのですね。
こういう問題を扱うためには、きちんと勉強しなくてはいけません。これは、政府にも、野党にも要求されることなのですね。
返信がついております。
Miya Kyo
> 私達は、原著論文(DiscussionのLimitation部分)にも、
> 日本語版のプレスリリースにも「今回認められた関係が
> 因果関係であるかどうかは分からない」と明記しています。上記の通りである以上、論文の記述が思わせぶりで適切ではないという指摘は不適当だと思われますが、それについては如何お考えでしょうか?
原口議員も疑問を呈しているので具体的な行数も示しますが、web閲覧であればDISCUSSIONの30行目からの段落です。
瀬尾 雄三
Miya Kyo さん
この論文では、GoToトラベル参加とコロナの兆候との間の相関関係の存在をもって次のように主張しています。
> このことは、Go To トラベル事業が、新型コロナ感染拡大に一定の影響がある可能性があることを示唆しています。
一般に、二つの事象間に共通の原因がある場合、相互の因果関係がなくても相関関係が生じることが知られております。このため、因果関係に言及する際には、相互に共通の原因がないことの確認が必要です。
上の方に書かれている柳沼さんのコメントにもある通り、外出する頻度の高い人は、他人との接触頻度が高いためコロナ感染リスクが高いと考えられる一方で、外出頻度が高い人はGoToの利用も多いと考えられます。このような、容易に推定される共通原因に言及することなく因果関係が存在する可能性を主張することは、論文としてアンフェアに感じられます。
さらに深読みすれば、外出性向の高い人は、コロナ感染リスクも高く、GoTo利用も多いと考えられることから、この双方に相関関係が存在することは、高い確率で予想される(普通の言葉で言えば「あたり前」)であるわけで、この論文がもつ情報量はほとんどない(つまりこの論文には価値を認めがたい)ともいえるわけで、これを避けるために、共通の原因の存在にはあえて触れずに済ませたのではないか、などということまで邪推されてしまうのですね。
また、上に書きましたような、学術的概念に詳しくないマスコミや政治家の誤解を招き因果関係ありとの印象を与えられれば話題になることも期待できると考えていたとすれば、これはかなり悪質であるように思われた次第です。
仁科環
瀬尾 雄三 さん
共通の原因=交絡因子
欧米ではマスメディアで記事を発信できるのは原則として博士過程を終了したものです。日本では4大学士が新聞社に入社して上に気に入られる記事を書いていれば出世して、思い込みで独善的な記事を発信する。で、論説委員などある程度出世すると、文系学部から学位を授与され、なんと大学教授に収まってしまうのですよ。
こんなんだから日本のジャーナリズムは居酒屋の親父談義レベルを抜けられず、ブロゴスで袋叩きの憂き目に合うわけです。
Miya Kyo
瀬尾 雄三 さん
>高い確率で予想される(普通の言葉で言えば「あたり前」)であるわけで、この論文がもつ情報量はほとんどない(つまりこの論文には価値を認めがたい)ともいえる
当たり前のことを「当たり前だから」で済ませずに証拠をつけるのが論文でもありますので、その点では価値はあると思います。
現に隣の大陸の国では欧米の疫学論文を引っ張ってきて「欧米の結果ではこうだったが人種差が無いかどうか調べてみた→差は無かった」という手法で「実に当たり前な結果の出る論文」を量産しています。研究モデルを丸ごと流用できるためお手軽にIFを稼げるようですね。
交絡因子として容易に予想される項目を挙げていないのはご指摘の通りですが、逆に容易に予想されうるからこそ挙げなかったとも言えるわけでもあります。自分としては論文の瑕疵にあたるとまでは言い難いかな、と思うのです。
まあ、津川先生が間違えたとするのであれば安易に未査読の論文をどこの馬の骨が見るかも分からんTwitterなどに晒してしまったという所でしょうか。
瀬尾 雄三
Miya Kyo さん
> 当たり前のことを「当たり前だから」で済ませずに証拠をつけるのが論文でもありますので、その点では価値はあると思います。
そういう論文であるなら、そのように書くべきでしょう。この論文の書き方は、下でも書かれているように「交絡因子として容易に予想される項目を挙げていない」のですね。
そして、それが「容易に予想されうるからこそ挙げなかった」のであれば、原論文の「このことは、Go To トラベル事業が、新型コロナ感染拡大に一定の影響がある可能性があることを示唆しています。」などという記述はあり得ないと思われませんか。
悪意に解釈すれば、容易に予想される因子を意図的に隠して、あたり前の結果にさも意味があるように見せかけている論文である、とも言えそうです。
そして、論文を善意に解釈する人間の「GoToがコロナ感染の原因である」との誤解を誘っている、とも邪推できてしまうのですね。
たしかに、最後の方に因果関係が立証されたわけではないとの断り書きがなされていることは事実ですが、前方の「示唆している」なる記述と合わせ読むと、「確定したわけではないが、その可能性は極めて高い」という趣旨に読み取れてしまいます。
邪悪な意図ありと受け取られないためには、この論文は、取り下げたほうが良いのではないかと思いますけどね。
相関関係と因果関係は誤解されやすい。
特にアゴラあたりにいる経済学者におおい。