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音喜多駿氏の4/14付けBLOGOS記事「毎日飲んでるトリチウム水…」へのコメント

音喜多駿氏の4/14付けBLOGOS記事「毎日飲んでるトリチウム水...」にコメントしました。なお、福島のトリチウム汚染水からのトリチウム回収技術に関しては、別記事でご紹介しています。


これは、センスの問題であるような気がします。つまり、「薄めて流す」などということを平然と言ってのける意識がどうかしているというのが、かつて環境問題にかかわった者の偽らざる気持ちなのですね。

たしかに、大昔(1970年代初頭など)は薄めて流すなどということも平気で行われておりました。だけどそれが本当の解決にはならないことが指摘され、濃度規制から総量規制へと向かう動きが出てきたのですね。

大阪に流せばなどという意見もありましたが、大阪は福島よりもまずいということがわかってなくてはいけない。瀬戸内海などのような閉鎖された海域では、まさにその総量規制が適用されるのですね。また、大気汚染防止では薄めるという行為自体が問題とされております。

もちろん、現実に害があるかどうかといえばこれは別問題。でもそもそも、大気汚染にしたところで、少々の有害物質を排出したところで何が起こるわけでもない。だけど、個々の行為を許してしまったら、みんながみんな同じことを始めることにもなりかねず、これが行きつくところは健康被害、というのがかつての大気汚染などの教訓なのですね。

だから福島で本来すべきことは、トリチウムを除去することだった。回収したトリチウムは、販売もできるだろうし、保存しておけば徐々にヘリウム3に転化して無害化される。そして排水に関しては、除去して減ったけどなお残っているトリチウムと、薄めて薄くなったけど量が同じトリチウムでは、同じトリチウムにしても、その意味するところは全然違うのですね。そのセンスのところがわかっていないことが、今回のトリチウム水の大問題であるように、私には思われる次第です。


自分でフォローしておきました。

瀬尾 雄三

一応、トリチウムの分離技術が存在することを指摘しておきます。以下のURLを「キュリオン」で検索してください。53ページにその具体的提案が述べられています。

https://www.meti.go.jp/.../tritium_tusk/pdf/160603_01.pdf

もちろんこの手のことには様々な不確実性があることは言うまでもありません。だけど、やらないことには何事も可能にはならないのですね。

今回の問題は、最初からやる気がないにもかかわらず、形を整えるためにいろいろと検討をしたような感じすら致します。そうしたら、具体的提案が出てきてしまった、というわけですね。

やる気があるなら、この提案が出てきた段階で、具体的なプロセス実現に向けて動かなくてはいけないはずです。

何をしていたのでしょうか?


返信がついております。

Isao Matsumoto

希釈という言葉の科学的意味について知らないからかもしれません。

例えば海水1リットル中にウラン元素はホニャララ(いくらぐらいだっけ?)マイクログラム最初から含まれています。

あとホメオパシーだったかな。医師に論破されてましたが、レメディーとかいう薬を作るのにものすごく希釈するのですが、まあ原子一個分の元素が何か作用を行うということはないわけです。


瀬尾 雄三

Isao Matsumoto さん

問題は、行為の正当性、ということなのですね。

排水中の濃度が規制値より低ければ、さしあたり規制はパスするわけですが、大雨になったからといって、ためておいた有害廃棄物を排水にどんどん流してよいというものでもない。かりに数字上は満足したとしても、その手の行為自体が非倫理的行為とみなされるわけです。

さらなる問題は、よりセンシティブな、「放射性廃棄物を希釈して公海に放出する」という行為自体の倫理性が問われるわけで、我が国でどうかという問題だけではなく、それが国際的にどうみられるかという問題もある。

このあたりをきちんと見ておかないと、韓国の非難が国際的には妥当とみなされ、我が国が倫理レベルの低い国とみなされる可能性だってあるのですね。ここは、屁理屈をこねてどうなるわけもなく、きちんと考えなくてはいけない局面です。


他の方のコメントにも返信しておきました。

Mikio Wakabayashi

素人考えだが、「薄めて放出する」のではなく、「濃縮して、保管し続ける」って方法はできないんですかね。たとえば、5倍に濃縮すれば、タンクは5分の一で済むことになるから、満杯になることはない。5年でも十年でも先送りして時間稼ぎをして、新技術の実用化を実現する。


瀬尾 雄三

> 「濃縮して、保管し続ける」って方法はできないんですかね

正にこれが分離技術で、我が国の公式見解ではできないことになっているのですが、普通に可能な方法で、水から重水を分離する手法は戦前から行われております。トリチウムも同様な手法で分離可能なのですね。

トリチウムの半減期は12.3年ですから、123年間保管すればトリチウムは1/1000に減少する。時間稼ぎどころか、無害化も可能です。蛍光塗料を光らせるなどの用途のための需要だってある。

分離技術をとことん使って、純粋なトリチウム水にすれば、百万立方メートルのタンク中のトリチウムを20ccの小瓶に収めることができます。放射能がありますから、取り扱いには注意が必要ですが、保管のコストはほとんどかからないのですね。

なお、トリチウム分離装置の排水中にもトリチウムが一部含まれるわけですが、これは(希釈した放射性廃棄物とは異なる)プロセスの排水であり、排出基準を守れば問題ないはずです。そのプロセスがまともなトリチウム回収プロセスならば、ですが。何でこれをやらないのか、私にはさっぱりわかりません。

1 thoughts on “音喜多駿氏の4/14付けBLOGOS記事「毎日飲んでるトリチウム水…」へのコメント

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