コンテンツへスキップ

ヒロ氏の5/21付けBLOGOS記事「清貧の美徳」へのコメント

ヒロ氏の5/21付けBLOGOS記事「清貧の美徳」にコメントしました。


清貧を美徳とする考え方は、キリスト教にもありますよね。ウンベルト・エーコの「薔薇の名前」などは、それが隠れたテーマになっていたし、その他の中世の宗教がらみの小説や映画にも、この話題はあちこちに顔を出していたと思います。

でも、ニーチェはこれを「蓄群道徳」といって切り捨てる。能力なき者、持たざる者の妬み嫉み(ルサンチマン)を利用して、あいつらはいずれ地獄に落ちると満足感を与える宗教家に騙されているだけだというのだけれど、さて、我が国の清貧を重んじる人たちは、そうではないと言い切れるのか、どうなのか。

基本的に、ソドムとゴモラみたいなやり方もどうかと思いますし、金融関係者の豪華なパーティーが話題になった2006年の終わりごろの米国ニューヨークの姿にも同じものを見たのですが、それは稼いだお金の使い方の問題なのですね。

個人が生み出した価値に応じた報酬を払うことは全然おかしくないし、それが能力を正しく評価することであるはず。莫大な価値を生み出している人に少ししか払わないことは、誰かがその価値をかすめ取っていることになるわけで、それはそれでおかしな話だし、価値を生み出す裏にあった当人の努力を否定してしまうようなことにもなりかねない。

それぞれが提供した価値を正しく評価することこそ、フェアな市場取引のあるべき姿なのであって、そこにルサンチマンのようなおかしな感情を絡めてこれを歪めることは、厳に慎まなければいけないと思います。それはつまり、アンフェア、不公正そのものじゃないですか。

1 thoughts on “ヒロ氏の5/21付けBLOGOS記事「清貧の美徳」へのコメント

  1. mi.mino

    正しく使えるなら蓄財はわるくないがね。
    火星に行きたいとか言い出す金持ちは悪だね絶対。
    地獄に落ちるよ。
    あるならね。

コメントは停止中です。