岩田健太郎氏の5/23付けBLOGOS記事「プロトコルベースとアウトカムベース。前向きと後ろ向き。三人称と一人称」にコメントしました。
仮定の話というのは、危機管理の基本なのですけど、もし何も考えていないとしたら、いったい何を考えているのでしょうね。
スポーツ選手の場合、イメージトレーニングが重要だといわれます。つまり、実際の試合に臨む前に、その場をイメージして、相手がこう来たらこうしよう、こうなった時はこうする、というように、様々なシチュエーションを想定してどう動けばよいかをあらかじめ考えておくことなのですね。
同様なことは、リスクを回避する安全対策の場でもやるべきことで、たとえば自動車のドライバーは、あのわき道から車が出てきたらどうするか、前を走る自転車が転んだらどうするか、そこで遊んでいる子供が道路に飛び出したらこうしよう、といったことをあらかじめ考えておくと、いざという時に迅速な対応が可能となり、事故を未然に回避できるというのですね。
リスクマネージメントの基本もそうなのであって、起こり得るリスクをあらかじめリストアップして、それぞれへの対処を想定し、リスクの示現する確率と被害をあらあら見積もっておくことが肝要。そうすれば、いざ問題が起こった時も迅速に対応できますし、そもそも、そうしておかなくてはリスク管理(回避するのか、転嫁するのか、縮小するのか、テイクするのか)も決められないはずです。
オリンピックに関しては、やるとしたらこうする、中止するとしたらこうするという段取りはあらかじめ考えておかなくてはいけませんし、インド株の流入状態や、国内の病床の埋まり具合といったパラメータをどう判断するかも、粗々の基準は持っていなくてはいけない。でも、こういうことは当事者が内々に考えておけば良い話で、国民的議論も必要ないし、ましてや、オリンピックを強行するのか中止するのかなどという議論を今の時点でしていても始まらないことは確かです。そういう意味では、批判サイドが何を考えているかにも、少々の謎はありますね。
返信がついております。
望月 聖仁
国民には裏で色々考えていることは伝えない、と今まで思っていたのですけど、ここ最近の日本政府の様子を見ていると、本気で手遅れになるまで、何も決めていないじゃないか?と疑いたくなりますが。
瀬尾 雄三
望月 聖仁 さん
ぎりぎりまで決めないというのは、ゲームでも有効な手だし、一つの生活の知恵なのではないでしょうか。ゲームでは、たとえばミサイルがこちらに飛んでくるとき、当たる直前までよけない。こうすることで、最小の動きでかわすことができ、最大限の攻撃を繰り出すことができるのですね。ときどき、道を歩いている人が似たような動きをして、少々危ない思いをしたりもするのですが、、、
コロナの対応では、政府はいよいよ危ないとなるまで、緊急事態宣言などの手を打たない、という傾向は確かにあります。こちらは、様々な利害を調整する以上、あまり先走った手も打てない、という事情があるのでしょう。たとえば、さしたる被害も出ていないうちから営業自粛を要請したりはしにくい。
結局のところ、緊急事態に対する政治家の力量は、結果で判断するしかない、ということではないでしょうか。少し前の大阪がひどい状況になったのは、維新の政策に問題があったのではないかと思いますし、いま北海道沖縄で感染が拡大しているのは、ゴールデンウイーク中の観光客抑制に問題があったようにも思える。だけど、さしあたり、日本全体あるいは東京都はうまくやっている。
批判されるべき政治家はだれで、批判を差し控えるべき政治家はだれか、結果を見ればおのずと判断がつくのではないでしょうか。
カタカナが多すぎて読みにくい