内藤忍氏の8/2付けBLOGOS記事「何をやっても批判される『老夫婦とロバ状態』の日本」にコメントしました。
単純な話、日本人は農耕民族であり、日本社会は農耕社会なのですね。今じゃ農耕など、一部でしかやっていないというのに、その他の場所でも、農耕社会的文化なり規範意識がずっと続いてしまっている。
田植えやるなら、一列になって、他人と同じスピードで苗を植えていかなくちゃいけないですし、工場でも流れ作業ならそうです。でも、創造性が要求される場所までこの調子でやられると、馬鹿じゃなかろうか、と思う局面もあるのですね。
私が民間企業の研究所で仕事をしていたころ、他所から転属になった偉い人が言うのですね。「協調性こそが大事である」と。これ、どう思われますか。私がすぐに思ったことは、「ここは、幼稚園じゃないのだが」ということ。こいつあほだ、とも思ったことは内緒にしておこう。
研究機関の人間にとっては、他人と同じことをやっていたら何の価値もない。もちろんそれが、大学の研究室で、教育の一環としておこなわれているなら同じことをやることも悪くはない。でもそれは、トレーニングであって、新しいものを生み出す行為ではないのですね。
研究者に必要なことは、協調性ではなく、独自性。他人とどれほど異なる着想ができるか、かつて誰も気づかなかった論理を立て、誰も生み出したことのない製品を作り出すことが使命なのですね。教育ならばお手本と同じところに到達すればいのでしょうが、同じことをするのは創造とは言えない。お手本をどれだけ超えるかで評価されなくちゃいけない。そういうことです。トヨタさんも、苦労されておられるようです。
日本じゃ和が一番大事だからね。
大企業からベンチャーまでいろんなところに所属したがすべてがそうだったよ。
だから瀬尾さんがアホだと思う人でも「協調性こそが大事である」という価値観を持てば、「他所から転属になった偉い人」すなわち偉い人になれるんです。
まあ研究所について独自性が大事なのは当然ですが、それでも協調性がない人が出世することはありませんね。
独自性がある人が作った成果を上手に協調性が大事といってみんなの成果としてさらに自分取り分を何気に大きくするわけです。
なにしろ、独自性のある人の成果を何もやっていない人に協調して分け与えるのですから、大勢は賛成します。
そして自分の取り分を少しぐらい多くしても誰も文句を言わなくなるだけです。
損をするのはその独自性がある人だけですが、文句を言うとその人は協調性がないといわれて身の置き所がなくなっていくわけです。
まあに日本の企業が後れを取るのは残念ながら当然です。