かさこ氏の8/9付けBLOGOS記事「東京五輪に思う。世界は未だ国籍・国家の呪縛に縛られたまま...」にコメントしました。
国単位で対抗して勝負するのは、別に平和と矛盾するものではないですよ。そんなことを言えば、高校野球など、日本という国を分断する、とんでもない試みということになってしまう。なにしろ、県対抗ですから。
国家という概念に対して、日本では否定的にとらえる人が多いのですが、実は、人権意識と強く結びついているのですね。近代的国家(国民国家)の誕生の嚆矢をフランス革命に求める人が多いのですが、ここで、個の人権を守り民主主義を実現する機構としての国家という概念が誕生しているのですね。昨夜フランスの空を染めた三色旗を見上げたパリ市民の感動が、こちらにもビンビンと伝わってきませんでしたか?
問題は、国家が正義の源泉であり、国と国との対立が生じてしまうと何が正義かわからなくなってしまう、力勝負になってしまうということなのですね。でも、国家をなくしてしまったら、個人の勝手な思いが正義の源泉ということになってしまい、さらにひどい混乱が生じてしまいます。
まあ、それを理想とする、アナーキズムのような思想もないわけではないのだが、、、
現実問題としては、さしあたり国家という機構は維持しつつ、人類全体で正義が実現されるよう、国際協調を進めて、世界政府的な仕組みを実現する方向を目指すのが理想的な方向なのでしょう。でもその実現には、まずは、国家をしっかりと保つこと。ばらばらにする方向ではなく、統合する方向にこそ、未来はある、ということです。
実際にあるんだからさあ。
イマジンを信じるあほにはなりたくない。
あの5人で喧嘩別れした連中のね。