シロクマ氏の8/14付けBLOGOS記事「お盆を迎え、アンチエイジングに思いを馳せる」にコメントしました。
ひとりひとりの寿命が短くとも、子々孫々が繁栄すれば遺伝子は永遠である
北杜夫氏の「ドクトルマンボウ航海記(新潮文庫、角川文庫)」に、【ウイスキーの水割りを永久に飲み続ける方法】が紹介されていました。これ、たしか、半分飲んだところで、水を足して元通りにする。そうすれば、水割り自体は何時までもなくならないのですね。でも、ウイスキーがどんどん薄くなることは避けられず、あるところで我慢できずに、全部飲んでしまう、ということです。
DNAなどの遺伝子配列に関しては、性染色体部分で永久に残るものもあるようですが、そういうものがあったところで、それは自分ではなくて、祖先から(アダムなりイブから)受け継いだものであるわけで、リレー競技にたとえれば、ランナーではなくバトン。これが永遠の命を得たところで、あまりうれしいものでもない。また、位牌のような形で引き継がれたとしても、何代か先には位牌の数が増えすぎて、焼却処分の憂き目にあうことは必定、このような形での個々の存在は、万物不易と心得るしかありません。
一方、人の価値は物理的実体にあるのではなく、その精神にありとするのが一般的な考え方であり、精神を残すことは不可能ではないのですね。極端な話、イエスキリストや仏陀、モハメッドの精神は今日に生きておりますし、様々な芸術作品に過去の作者の精神をみることができる。人類の進歩に何らかの寄与をすれば、それは何時までも残る。科学技術が進歩するといっても、それは積み重ねですから、根底には残るのですね。誰も気づいてくれないかもしれないけど(そしてその可能性は高いけど。)
また一方、残るものは善きことだけではない。偉大な人物を暗殺する犯人の一つの動機が『俺の存在を後世に残すため』なのですね。でも、悪しきものとしての己の存在を後世に残しても、あんまり意味はないと思うのですが、その心理状態はなかなか理解しがたいものがあります。
私には難しすぎる。
結婚も家族も子孫も望んでいたのだか、それはすべてかなえられなかった私にとっては難題すぎる。