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中村ゆきつぐ氏の10/8付けBLOGOS記事「日本の研究 ノーベル賞クラスの研究はいつまで 人間90までボケずに元気にいるために」へのコメント

中村ゆきつぐ氏の10/8付けBLOGOS記事「日本の研究 ノーベル賞クラスの研究はいつまで 人間90までボケずに元気にいるために」にコメントしました。


以前も書いたことがあったのですが、我が国では、研究機関の中でも「協調性」を重視する人がいるのですね。研究に必要なものは、協調性の真逆の「独自性(オリジナリティ)」なのですが。

我が国には協調性を重視する傾向が強いのですが、これは、道徳意識とも強く結びついている可能性があります。コールバーグの道徳意識発達理論では、道徳意識は、レベル0の懲罰回避志向、レベル1の快楽追及志向、レベル3の良い子志向、レベル4の合法志向、レベル5の遵法志向、レベル6の普遍志向という段階で発達するとのことで、道徳意識がレベル3の良い子志向にある場合に協調性が重視されるということでしょう。

そして、子どもの発達段階にあてはめると、良い子志向は小学校中高学年段階ということで、マッカーサーが指摘した「日本人12歳説」とよく符合します。まあ、国際的な水準に照らすと、日本人の道徳意識は12歳程度のレベルにあるということでしょう。

日本人の全部が全部(国際基準で見た)大人にならなくちゃいけないということもない。良い子志向でうまくいくなら、それも幸せというものかもしれない。でも、優れた技術なり学説なりを作り出す人は、それじゃ育たないのですね。

結局のところ、研究機関などの限られた場所だけでも良いですから、協調性などくそくらえ、独自性こそすべて、という価値基準で動く場所を作らなければいけない、ということでしょう。優れた研究者にとっても、米国まで行くよりは、国内のこの手の機関に行く方がはるかに楽なはずですから、処遇などもきちんと整えれば、それ相応の意義もあるのではないかと思いますよ。


長門 ユキ

12歳ということは若く柔軟でこれからどのようにも発展できる可能性の塊、と好意的に解釈することもできますね。実際吉田茂はマッカーサー発言をそのように擁護しています。


瀬尾 雄三

長門 ユキ さん

おこちゃまだねえ、といわれて喜んでいたら世話ないのだが、、、

まあ、吉田茂氏には、そういうしか、言いようがなかったとは思いますけどね。事実なんだからしょうがない。

1 thoughts on “中村ゆきつぐ氏の10/8付けBLOGOS記事「日本の研究 ノーベル賞クラスの研究はいつまで 人間90までボケずに元気にいるために」へのコメント

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