変な記事が出てこないかと、最近アゴラをチェックしているのですが、「エネルギーと水のゆくえ」と題します辻元氏の記事も、原発止めたら大変だ―といった手合いの恐怖をあおって原発再開との狙いが透けて見える程度の低い記事であるように思われます。
まず、水の問題ですが、水資源の不足という問題は確かにあるのですが、これは化石燃料の枯渇とは異なり、局所的な問題です。つまり地球全体を見渡せば、あるところには充分な水がある一方で、水がなくて困っている場所もあるという問題であり、水は安価であるがゆえに経済的に遠距離輸送することが難しいが故の問題です。
たとえば、アマゾン川の水量は175,000トン/秒、630,000,000トン/時間、5,500,000,000,000トン/年と見積もられております。これを面積1000万km2のサハラ砂漠に導くと550,000トン/km2年ということになり、1メートル四方あたり550kgと、年間降水量550mmに相当する水量になります。
日本の年間降水量は1500mm前後ですから、アマゾンの水をサハラにまけば日本の降水量の1/3程度に匹敵し、十分に作物を育てることもできます。もちろんこんなことができないのは、アマゾンの水をサハラ砂漠まで運搬するための経費が膨大になるからであるわけです。
水を得るには海水淡水化という手段もあり、水不足の問題はエネルギーさえ確保されればあまり心配はいらないということもできます。
結局のところ、将来のエネルギーを何に頼るべきか、という点が最大の問題になるわけですが、私はこれには3通りの解があり得、現時点でどれが正解であるかは判断できない、と考えております。
第一の解は自然エネルギーであって、太陽、風力がその最有力候補で、もしかすると波力もありか、と考えております。海上に風力発電所を造るのであれば、その周囲に波力回収機構付きのいかだを浮かべて太陽電池を配置し、風力、波力、太陽光発電を組み合わせて行ったらよいのではなかろうか、などと考えております。その他、地熱、潮汐力などもエネルギー源としては考えられるのですが、これらのエネルギーは地域的に限られることから、実用化されるとしても水力同様、補完的な存在にとどまるのではないでしょうか。
これらのエネルギーは、現時点では化石エネルギーに比べて高価なのですが、利用の増加に伴い技術開発が進み、安価で効率のよい装置が得られる可能性は高いものと思われます。太陽電池は半導体の一種なのですが、半導体のコストダウンがどれほど進んだかを考えますと、太陽エネルギーが今日の化石燃料で得られる電力コスト以下となる可能性もあり得ない話ではありません。
液晶も類似の技術で作られているのですが、アテネオリンピックの前に30万円出して買ったテレビが今では10万円以下。10年、20年というレンジでは、太陽電池の価格が1/3以下に下がったところで何の不思議もありません。
第二の解は、原子力。もちろん現在の我が国の原発が危険極まりない存在であることは、このブログでも何度か指摘いたしましたが、安全な原発ができないわけではありません。津波のリスクは海沿いを避けて立地することでゼロにすることができますし、地震に対しては免振構造とする技術も種々開発されております。今日の原発が全て危険であるとしても、きちんとした対策を施した原発を新たに建設するのであれば、その事故のリスクは社会的に許容可能なレベルに下げることができます。
原子力が将来のエネルギー源として有望であるといいましても、今日のウラン燃料が枯渇する時期は化石燃料とさして変わりません。しかし、我が国では高速増殖炉の技術が開発されており、更にはウランよりもはるかに資源的に豊富なトリウムを核燃料に変換することも可能です。これらの技術開発をきちんと進めておけば、仮に自然エネルギーのコストが思ったほどには下がらないとしても、核エネルギーという代替手段が確保されることになります。
第三の解は核融合。このための研究も我が国では精力的にとり進められており、20年30年といったスパンでは実用化の可能性もないわけではありません。ただしこの手の長期にわたる研究は役人の食い物にされるリスクが多分にあり、きちんとした研究管理の体制が不可欠です。
エネルギーさえ得られれば、水は海水淡水化で得ることができ、プラスチックをはじめとする各種有機化合物は水を電気分解して得た水素ガスと石炭コークス(炭素)から合成することが可能です。加熱したコークスに水を反応させれば水素ガスと一酸化炭素が発生し、これからメタノールが合成されます。メタノールからの各種有機化合物の合成は、今日C1化学として研究が進められており、石油から作れるものであればたいていのものを合成することが可能です。
また、メタノールから容易に合成されるDME(ジメチルエーテル)は、今日ではスプレーのためのガスとしての利用が中心ですが、プロパンガスと類似した性質があり、天然ガスに比べてはるかに運搬容易な(自動車用などの)燃料とすることができます。
幸いなことに石炭資源はかなり豊富であり、石油や天然ガスの枯渇後も長期にわたって利用することができます。しかしいずれは石炭の枯渇も覚悟しておく必要があります。
しかし、炭素資源を得るというだけなら、廃棄物を焼却した際に発生する炭酸ガスを回収するという手だってあります。生ゴミなどは生物由来ですから、通してみれば大気中の炭酸ガスが炭素資源として回収されることになります。その他、冷水塔で循環している水をアルカリ性にしておけば、さしてコストを掛けずに空気中の炭酸ガスを直接採取することだって不可能ではありません。
と、いうわけで将来はさほど心配したものでもありません。目先のエネルギー源には天然ガスがあり、どれほど長持ちするかは疑問ですが、当面はシェールガスが、その先にはメタンハイドレートもあります。天然ガスは硫黄も少なく、ガスタービンは効率が良く、需要に合わせて運転停止も容易という特徴もあります。更に、排熱を利用するコジェネレーションを都市の暖房などに利用すれば経済性は更に高まります。電力不足が心配される今日、まずなすべきことが天然ガス発電所の建設であるのは間違いのないところでしょう。
ところが、電力会社の目指している方向は原発の再稼働であるように思われます。ここに最大の問題があるというのが私の理解です。
今日の我が国の原発の事故リスクが社会的に許容されるレベルを超えていることは、これまでにこのブログでもたびたびご紹介いたしましたが、これを国民の多くが(薄々かもしれませんが)感づいております。一方の電力会社は現在の原発にあまり手を加えずに運転再開したい考えであるように見受けられます。こんなことをしておりますと、国民の原発に対する反感はますます激しくなり、我が国の将来のエネルギー源としての原発というオプションはなくなってしまいます。
目先の巨大な損失を避けたいという経営者の心理は痛いほどわかるのですが、危険な技術を扱っている以上、その安全には責任があります。過去の失敗は失敗として認めるというステップを踏まない限り、我が国の国民に根強い反原発感情を収めることは難しく、運転再開ができないまま(停止中といえども)危険な原発を保持し続ける、最悪の状態が続いてしまうように、私には思われます。