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今日は牛丼が消えた日

今日は、新宿で所用を済ませた後、麹町まで買い物に行きました。時節柄、途中目に付いたのが牛丼屋、でも、ほとんどの店が昨日あたりで、牛丼の販売を中止しているのですね。

私も、実は、牛丼ファンで、出先に牛丼屋があると昼飯に利用したものですが、今回の販売中止は冷めた目で見ています。と、いうか、この期に及んで、牛丼屋に殺到する人たちの気が知れない。

そもそも、米国産牛肉は、安全なのか、危険なのか。

少し前に米国でBSEに感染した牛が発見され、ろくな検査もしていなかったことも明らかになったわけで、だから、米国産牛肉の輸入を禁止したんですよねえ。

でも、禁止される前に輸入された肉の在庫があった、だから、牛丼屋、これまで販売できたわけなんですけど、その肉、安全が確認されたものではない。

つまり、本来であれば、米国産牛肉の輸入を禁止すると同時に、既に輸入した米国産牛肉の在庫、廃棄処分にしなくちゃいけません。しかし、現実に行われたことは、在庫牛肉、食っちゃった。しかも、貴重品扱い! マスコミの扱いも、消え行く牛丼を惜しむという論調、安全性の議論、ろくになされていない。

結局の所、米国産牛肉の問題、安全性の問題ではなく、政治の問題と化しています。輸入の禁止、再開を決める政府の判断、安全性という科学的基準に照らした判断ではなく、利害の対立する様々な集団の力関係、政権への影響力の違いで決まってくるんですね。

一番強いのが農業団体、これは、輸入禁止が長引けば長引くほど嬉しい。国内では牛丼屋、悲鳴を上げてますけど、政治力、全然強くない。米国の農家は、輸出が出来ないと困る、米国政府も日本に苦言を呈します。でも、米国の圧力、それほど強くはない。結局、日本の農家の利害が優先されるんですね。

しかし、こんなやり方、おかしいと思いませんか? 本来、食べ物の安全性は、科学的基準に照らして判断されるべき問題、利害関係者から距離を置いた中立の委員会で議論すべき問題なんですね。

これまでの様々な情報から判断する限り、米国のやり方、必ずしも安全ではないことは、確かである様子。だけど、それと同じくらいに、日本のやり方も確かではなさそう。科学的な根拠のあるきちんとした検査の手順と監査システムを、国際的にも合意の取れる、普遍的な基準にしていく努力、それこそが、まずすべきことなんですね。

同じような問題は、鯉のヘルペス、鳥のインフルエンザにも広がり、最近では、口蹄疫発生のニュースも伝えられています。食品に関係する病気の流行、社会の抱える一つのリスクとして、対処方法を確立しておかなくてはいけない。

日本やアメリカなどで起こっている問題は、まだ、軽い問題。貿易や人の移動が盛んな現在、病気の流行は、全地球的問題として対処しなくちゃいけません。地上に病原菌のある限り、世界のどこかで、また、大流行する可能性があるわけですから。

特に、発展途上国でのこのような問題の発生に際しては、対処が困難なケースもあるでしょう。このような場合、もちろん、マスクや薬剤で援助することも必要なのでしょうけど、どのようなやり方をすれば安全が確保されるかという知識、科学的根拠に基づく普遍的な基準作り、これこそ、先進国が率先して動くべき課題でしょう。日本やアメリカで問題が起こった現在は、行動を起こす好機でもあるんですね。

それを、他人のことなど構わないといった、お金儲け第一の人たちの政治的な問題にしてしまう、これは、とてつもなく間違ったことだと思いますよ。