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バーチャル、という幻想

小学生による殺人事件で、ネットを介したコミュニケーションの危険性が指摘されています。で、「バーチャルな人間関係」が問題になるんですね。

でも、ネットの人間関係を「バーチャル」という、その考え方に問題がある。ネットの人間関係を、バーチャル(本物そっくりだけど本物じゃない)とする考え、結構多くのヒトが抱いているのですが、ネットの世界、現実の人間関係なんですね。だって、その両側には生身の人間がいて、現実に情報をやり取りしている。

ネットをバーチャルコミュニケーションであると考える根拠に、ネットの匿名性があります。つまり、誰が発信したのか、普通のヒトにはわからない。正体がわからないから何でもできる、なんて考えるヒトも多く、むちゃくちゃなメッセージがネットの世界にはあふれています。

でも、匿名のコミュニケーション、別にネットの世界に限られない。都市で行き逢う人々、たいていは互いの正体を知らない。これが田舎の小さな町であれば、互いの正体ばれている。だから、都市では田舎以上に犯罪が起こりやすい。でも、都会のヒト達、バーチャルな世界に生きているとは思っていない。これ、現実の世界デスヨねえ。アタリマエですよねえ。

ま、名前はわからないけど顔はわかる。悪さをすれば、似顔絵が撒かれる。そんなことも犯罪の抑制になっているのでしょう。で、ネットの匿名性が問題になります。

でも、実は、この匿名性、完全ではない。プロバイダには、ばれているんですね。この楽天の日記、訪問者のリストが見えるようになっているのですが、楽天外のヒトのID,一部隠してありますけど、これは楽天がしていること。楽天には全て、お見通しなんですね。同じことは、YAHOOも出来ている。

ネットの匿名性、プロバイダとユーザの間に、絶大な情報格差を作ります。それが嬉しいからプロバイダがバーチャルという視点を強調する、もしもそんなことがあると、コレは問題なんですね。

たとえばヤフーのボードには、正体がばれないように気を付けろとの注意が書いてある。これ、ネットのコミュニケーションがバーチャルであるように誘導するようなもの。で、参加者がバーチャルだと考えてむちゃくちゃなメッセージを書くヒトが増えると、それが現実のコミュニケーションである現実との間に齟齬が生じる、これが実はネットの問題として、いろいろなところに現れている問題の、根源なんですね。

ネットの教育、バーチャルの否定から始めることが必要かもしれない。