今日の NHK テレビで、ネグレクトという幼児虐待の話題を扱っていました。赤ん坊が泣いたり笑ったりした時に、応えてやらない、ということを続けると、幼児の脳の発育に支障をきたす、という重大な結果を招くとのことです。
なんだ、アヴェロンの野生児とか、狼に育てられた少年なんて、あやふやな話を持ち出さなくても、もっと経緯のはっきりした実例が、それも腐るほどの数の症例が、あるじゃないですか。
結局のところ、ヒトの脳は、そのニューラルネットワークの形成には、幼児期における他者とのコミュニケーションが不可欠である、ということは周知の事実なんですね。
だから、コギト、なんて言ってみても、その言葉を生み出した己の意識は、生まれてからこれまでに他者との関わり合いを続ける中で形成されたものである、ということは、否定のしようもありません。
コミュニケーションのモデルとして、シャノンのモデルが知られています。これは、伝送路で結ばれた送信者と受信者の間で情報を伝達し、その間にノイズが入るという、伝送路に着目したモデルですが、実際のコミュニケーションでは、しばしば、送信すべき情報を符号化する過程(表現能力)と、受信した符号を解釈する過程(理解能力)とが、問題となります。
言いたいことを言葉に言い表したり、他人の言葉を解釈する際には、自らが身に付けた知識、常識、文化が参照されます。幼児のコミュニケーション、つまり、笑いや恐怖といった、身体性の高い部分では、文化の差はさほど問題にならないでしょうが、名誉や美意識が絡む領域では、文化の違いが大きく作用することでしょう。
幼児と親とのコミュニケーションが大事であることは論を待ちませんが、文化の違いを超える、普遍的コミュニケーション能力の獲得も、その次に必要なんじゃないかな、と考えています。