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インターネットの「電子の村」が教えてくれるもの

インターネットは完全に開かれた社会であるといわれています。RFCと言う規約に従う限り、どんな人でも、組織でも、どんな装置でもネットに接続できるし、世界中の人たちとメッセージや情報をやり取りすることが出来ますからね。
おまけに、その規約である「RFC」、ご意見歓迎(リクエスト・フォー・コメント)という意味、つまり、誰でもインターネット規約を提案できるし、意見を述べることも出来るんですね。

でも、インターネット、そんな開かれた社会であっても、豊かな人間関係が生まれています。その実例を紹介した、スプロールとキースラーの「コネクションズ」の一部を引用しましょう。

ARPAnetで電子メールが利用可能になると,全国のコンピュータ科学者たちが,システム・デザインやプログラムのバグや映画批評といったさまざまなトピックスについて,気が向いたときすぐ意見を交換するといったことが流行するようになった.大学教授や大学生,大学院生たちは,電子メールを用いて興味ある問題を公表したり能力を披露して,それぞれの居場所にかかわらずだれかの役に立ったり協力しあうことができた.こうした人々のなかには,特定の組織に属さず自由な立場で行動した人たちもいた.科学者たちは住んでいる場所に関係なく共通の関心にもとづいて仲間を選ぶことができるようになった [Lederberg78].巨大な電子の村が形成され,そこにはお互いに会ったこともない仲間や協力者でいっぱいになった.私たちは,現在,コンピュータによるコミュニケーションを盛んに行っている組織の中に同じような電子コミュニティーが形成されはじめているのを知っている.

じっさい、このようなコミュニティーは、日本の掲示板でも種々目にすることが出来ます。2ちゃんねるとか、fjで始まる日本のネットニュースとか、ヤフーの投資関係のボードの一部でも、コミュニティと呼べそうなものが形成され、その社会独特の文化が花開いています。

開かれた社会、そうそう絶望的な社会でもない、というのが現実なんですね。

インターネットの社会関係は、全体としては開かれた社会で、その中に、いくつもの仲間社会があると、、、そういう、複合的な社会制度が、社会の公正さと発展の可能性を確保してメンバーに機会を与えると同時に、個々の仲間社会が、温かみのある人間関係を求めるヒトの本来的欲求をも満足させる、そんな社会となりえるのでしょう。これはすばらしい発見ですね。世界平和も夢じゃない。

なお、上の引用の中の引用文献、電子関係の学会で国際的に有名なIEEEの雑誌、Proceedings of IEEEの1978年の確か11月号、パケットスイッチング特集号に収録されたものです。この特集、1978年という、誰もインターネットを知らない時代に出されたものなんですけど、今日のインターネットの有様を、ほぼ完璧に予言した、驚くべき特集号でした。

パケットスイッチングというのは、サーキットスイッチング(回線交換)に対応する言葉で、従来の電話が回線交換、つまり、銅線が交換機の接点を経て、相手まで繋がっていたのに対し、メッセージがパケットという単位にまとめられ、間の計算機で記憶され、他のパケットとまとめて相手に送られるという技術、インターネットの技術そのものです。実に、この特集号に論文を書いた人たちこそ、今日のインターネットの礎を築いた人たちなんですねえ。