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「馬鹿の壁」のコミュニティって、、、

相当に狭い意味で使っていますけど、この日記はもっと広い意味で使っていますのでご注意を。って、馬鹿の壁を読み直して、ありゃ??? っと思ったんですね。

養老氏の意味するところは、「個人を全面的に吸収する社会集団」的な意味でして、共同体としてのコミュニティ一般ではない様子。しかし、学校や企業など、個人を全面的に吸収するものでしょうか? まあ、そんな考えを持つ人も多いのでしょうけど、もっと気楽に考えても良いように思いますけどね。つまり、自分に合わなければ、移ればよいと、、、だんだん、そんな時代になっていくのじゃないでしょうか。逆に、そうならなければいけない。学生にしろ、会社員にしろ、奴隷じゃないんだから、、、

ネットのコミュニティなんて、人の移動が激しいこと、激しいこと、だれも移動を止めることはできません。こういう共同体が、いずれは一般的になるはず。まあ、今日明日、というわけにはいかないでしょうけど、、、

コミュニティの三つの意味、広辞苑ではきちんと分けて書いていますけど、さすが広辞苑です。特に、二つの意味を混同している人が多いように思います。養老氏も、ひょっとすると、混同しているのかもしれません。

元々の意味は、個人を全面的に吸収する村落的共同体だったんですけど、都市や、さまざまな抽象社会の中にできてきた、擬似的な村落も、今日ではコミュニティと考えられているのですね。そして、そのようなコミュニティこそ、これからの時代に、人々がアイデンティティを獲得する基盤と期待されるのです。

これが村落的共同体にしか期待できないとすると、絶望的な未来しか、ないんですねえ。