時空の虚実について、考察を続けましょう。
時間を虚数であると仮定すると特殊相対性理論は不要になる、というお話を前回しましたが、これにつきまして、きちんと解説をしておきましょう。
1. ローレンツ変換とミンコフスキー空間
まず、空間的なXY平面内で座標系をθだけ回転する際の座標の変換公式は次のようになっています。
x' = x cosθ + y sinθ, y' = y cosθ - x sinθ
次に,速度vで移動する座標系に対するローレンツ変換の公式は以下のとおりです。ここで、vは光速を1となるように単位系を選ぶものとします。
x' = (x - vt) / √(1 - v^2), t' = (t - vx) / √(1 - v^2)
さて,時間は虚数であるといたします。すなわち時間 s = i tといたします。ここで、tは実数です。
前回お話したように、時間軸は空間的な位置ゼロの点の軌跡ですから、相対運動する座標系の時間軸は異なる方向を向いており、その角度のタンジェントは速度uとなります。ここで、速度uは距離/時間ですから虚数となります。そこで、u = i v と、実数 v を用いて表現するものといたします。
これらの表現を用いて,空間方向の長さyの辺を縦軸方向に、時間方向の長さt = isの辺を横軸方向にもつ直角三角形を想定して、サイン,コサインを求めてみましょう。わかっているのはu = tanθ= i v = y / t = y / (i s) です。これを用いますと長さ y = -v sと置き換えることができます。
まず,斜辺の長さ L は√(y^2 + t^2) = √(y^2 - s^2) = s √(v^2 - 1) となります。sinθは y / Lですから、 -v / √(v^2 - 1)、 cosθは is / Lですから、 -i / √(v^2 - 1)となります。
さて、これらを x = i t とおいて回転変換の公式に代入してみましょう。
x' = i t' = t / √(v^2 - 1) - y v / √(v^2 - 1)
y' = -i y / √(v^2 - 1) + i t v / √(v^2 - 1)
最初の式の両辺を i、つまり√(-1) で割り、二番目の式の右辺上下に i をかけるとと次のようになり、ローレンツ変換の公式に一致します。
t’ = t / √(1 - v^2) - y v / √(1 - v^2)
y' = y / √(1 - v^2) - t v / √(1 - v^2)
2. 四元時空のインターバル
さて、時空間における距離というものを考えてみましょう。ファインマン物理学Iでは、時空間における距離(インタバル)を √(c^2 t^2 - x^2 - y^2 - z^2) で与え、以下のように述べます。
インタバルの二乗は正にも負にもなれる。これは距離の二乗がつねに正であるのとはちがう。インタバルが虚数である場合には、2点の間のインタバルは空間的であるという。(虚数とはいわないで。)それはこの場合のインタバルは、時間によりも空間に似ているからである。また二つのものが一つの座標系で同一の場所にあるが、時間が違うという場合には、時間の二乗は正で距離はゼロで、インタバルの二乗は正である。これを時間的なインタバルという。
ここで、ファインマンは「虚数とはいわないで」などと書いているのですが、そんなお願いは無視することにしましょう。何しろ、二乗して負になるのであれば、それは虚数以外の何物でもありません。そして、距離が実数か虚数か、という違いが時間と空間の違いにあることを述べており、時間軸と空間軸の、いずれかを実数とし、他を虚数とすることの正当性をうかがわせます。
一方、時間軸を虚数とする場合には、距離(インタバル)は√(x^2 + y^2 + z^2 + c^2 t^2) と、通常の空間内での距離と同じ式で与えられます。虚数時間 t を実数値 s を用いて t = i s と表せば、距離(インタバル)は√(x^2 + y^2 + z^2 - c^2 s^2) となり、これが虚数である場合は時間的なインタバルであり、実数である場合は空間的インタバルとなります。この言い方は、元々、時間軸を虚数、空間軸を実数としておりますので、至極当然の言い方であるわけですね。
3. 四元ベクトルの内積
さて、時間軸を虚数とすることの真骨頂は四元ベクトルのスカラー積(内積)で発揮されます。ファインマン流の書き方では次のようになります。
Σ'μ Aμ Aμ = At^2 - Ax^2 - Ay^2 - Az^2
これに対して時間軸を虚数であるとするならば、四元ベクトルの内積も、通常のベクトルの内積と同様、次のように書き表されます。
A・A = Ax^2 + Ay^2 + Az^2 + At^2 = Ax^2 + Ay^2 + Az^2 - As^2
ここで、Atは虚数であり、実数で表示した時間成分 Ax との間には At = i As なる関係があります。
四元ベクトルの空間成分が虚数になり、時間成分が実数になるものもあります。たとえば、エネルギーと運動量は四元ベクトルを構成するのですが、これは以下のようになり、
p = (ux, uy, uz, 1) m0 / √(1 - v^2) = (i vx, i vy, i vz, 1) m0 / √(1 - v^2)
時間成分が実数で、空間成分は全て虚数になります。これは、時間を含む速度が虚数となるためです。
4. 虚数時間で解消される「なぜ」
と、いうわけで、時間を虚数であると仮定することで、時空間の数学のいくつもの「なぜ」が解消されます。すなわち、
- なぜローレンツ変換が必要なのか
- なぜ、距離が実数か虚数かで、空間的距離になったり時間的距離になったりするのか
- なぜ四元ベクトルの内積で、時間成分と空間成分の符号を変えなくてはいけないのか
などの疑問は、全て時間が虚数だから、で片がつくのですね。
5. パウリの相対性理論
それにしても、この程度のことは、物理学の専門家ならとうの昔に気付いていて良いはずです。たとえば、パウリは「相対性理論(上、下)」に次のように書いています。(この本は品切れですので、少し多めに引用しましょう(2016.6.7追記:現在ではちくま学芸文庫に収録されております。リンクはこちらに貼りました)。また、記号は原書のまま引用しましたので、上の記述とは食い違っておりますのでご注意ください。)
相対性理論の発展にとってMinkowskiの研究はきわめて重要な基本的役割を演じた。彼はつぎの二つの事実に着目することによって、理論をきわめて見通しの良い形式に書きあらわした:
1. もし普通の時間座標 t のかわりに虚数 u = i c t を用いるならば、ローレンツ群に対して、またこの群に対して不変な物理法則に関して、空間座標変数 x, y, z と虚時間座標 u の間には形式的に何らの差異も存在せず、これら4個の変数はまったく同等である。実際ローレンツ変換にとって特徴的な不変量
x^2 + y^2 + z^2 - (ct)^2
は、u を使うと
x^2 + y^2 + z^2 + u^2 (18)
となる。したがって最初から空間と時間を分離せず、これらを一緒にして時空とよばれる4次元多様体として扱う方が便利である。今後はこのように融合的に考えた時空という多様体を Minkowski にしたがって“世界”と呼ぶことにする。
2. (18)はローレンツ変換に対して不変であり、それは時空内の点の座標の2次形式であるそれでこれから、3次元ユークリッド空間における距離の2乗が x^2 + y^2 + z^2 であたえられることにまねて、世界点P(その座標が x, y, z, u)と座標原点の間の距離の2乗は(18)で与えられるとする。この4次元的距離の定義はきわめて妥当なものといえよう。この定義をあてはめることにより世界幾何学(計量)は規定される。それは4次元ユークリッド幾何学と非常に良く似たものである。
Minkowski のこのような考えは、1907の講演から1915年の論文発表に至る、特殊相対性理論が発表されて間もない時期に発表されており、物理学者であるならば当然考慮すべきアイディアであると思われるのですね。
6. 虚数時間を使わない理由
時間を虚数と仮定することで、時空の扱いはより単純でわかりやすいものになるということを、この記事の前半でご紹介しました。しかし、現在の物理学の教科書は、このような概念を使わずに複雑な記述を採用しています。これは一体なぜなのでしょうか。
この理由としていくつか考えたのですが、果たしてどれが本当のところなのでしょうか?
- 時間を虚数であるとするのは大胆すぎる仮定であると考えられること。しかし、インタバルが虚数か実数かで、距離を空間的か時間的かと判定するのと、大して変わりがないような気がします。
- 時間を虚数とする理論は電磁場の理論や一般相対性理論に展開する段階で破綻したのかもしれません。しかし、四元ベクトルが記述できれば、これらの理論展開にも十分に対応できるものと思われます。実際問題として、どこかで破綻した歴史的経緯があったのでしょうか?
- ミンコフスキーが若くして死去したため、後継者がおらず、他の系譜が物理学会の主流となってしまった。ちなみに、パウリが上に引用いたしました本を書き上げましたのは1921年、パウリが21歳のときでした。
- 相対性理論をわかりにくくすることで、物理学者の社会的優位が保たれる、と判断したため。
とまあ、いろいろ考えられるのですが、3や4がその理由であるとしたら、少々問題かもしれません。虚数時間の物理学は、もう少し追及してみる価値があるかもしれませんね。
虚数時間の物理学、まとめはこちらです。最新のまとめ「虚数時間とファインマン氏の憂鬱」も、ぜひどうぞ。