観測問題に関する最近の状況をチェックしようと、今年の4月に出ました別冊・数理科学「量子の新世紀―量子論のパラダイムとミステリーの交錯」(サイエンス社)を読んでみました。
1. 観測問題:三つの解釈
結論から申しますと、シュレディンガーの猫に代表される観測問題については、何ら前進していない様子です。同書にあります井元氏の記事「量子力学の解釈問題」によりますと、基本的問題は以下のように要約されます。
量子力学では、誰も見ていない系に対して成り立つ運動方程式―シュレディンガー方程式またはそれと同等であるハイゼンベルグの運動方程式―とともに、観測に伴う波束の収縮と呼ばれる過程がある。……観測とは何か、あるいは測定器とは何かが明確に規定されていれば、法則が2種類あっても構わない。しかし、測定器と言えどシュレディンガー方程式で記述されない道理はない。ここに量子力学の矛盾がある。
というわけで、井元氏はこの問題をめぐる3つの代表的解釈を、そのリーダー的研究者へのインタビューを交えて紹介いたします。
第一の解釈はコペンハーゲン解釈でして、シュレディンガーの猫の実験において、猫は観測されるまでは生死重なり合った状態にある。そして、観測者の意識の中で波束の収縮(生死の確定)が生じる、というわけです。
第二の解釈は、非局所隠れた変数の理論がありまして、これを主張しているのは、アブラノフ・ボーム効果で有名なボーム氏なのですが、この説は少々、分が悪い様子です。
第三の解釈は、多世界解釈でして、猫の実験でいえば、猫が生きている世界と、猫が死んでいる世界の双方がある、ということですね。
まあ、この三つを比べてみますと、一番まともそうなのは、やはり、コペンハーゲン解釈です。この説は、「生死重なり合った状態」などというから話が怪しげになるのですが、「生きているのか死んでいるのかわからない」といえば、きわめてまともな話になります。
何しろ、誰も見ていないのだから、わからないのはあたりまえ。誰かが観測すれば、その人にとっては猫の生死は確定するのですが、第三者にはわかりませんし、観測した人の報告を受けたところで、今度は観測者に関する信頼性を加味した判断が必要になる、というわけです。
2. 物理学者の混乱
これを物理学者が謎(ミステリー)と考える理由は、世界は人の存在とは独立に、客観的に記述できる、という確信があるからであって、実はその基本認識が誤っている、と私は考えております。この誤解ゆえに、観察者がいなければ宇宙は存在しない、という人間原理が導き出されるのは、はなはだ逆説的状況でもあります。
実のところ、物理学といえど、人間の精神が作り出した「世界の記述」であって、人間精神と無関係に人の精神の外部にある世界は、名もなく区分もない、混沌世界なのですね。そして、人は知らないことを語れませんし、知り得ないことを断定的に記述することはできません。
だから、猫は生きているのか死んでいるのかわからない、ということは、物理学の敗北でもなんでもなく、正直に事実を語っているに過ぎないと思うのですね。
と、いうわけで、観測問題に関しては、このブログでこれまで論じてきたことを変更する必要は、現時点でも、なさそうです。
3. エンタングルメント
さて、「量子の新世紀」で多く目にする言葉が「エンタングルメント」。これ、ゼーガペインでロボット兵器が出撃するときの掛け声「エンタングル」と関係がありそうですね。で、この言葉を日本語に訳すと「量子相関」。
この用途はいろいろとあるのですが、光子一つで通信することを考えた場合、送信側と受信側に干渉計をセットして、送信側で量子論的状態を決めてやる(波束の収縮を起こす)と、受信側でそれが検出される(干渉が起こらなくなる)、というようなものが実用に近そうです。これを途中で盗聴する奴がいますと、量子状態が変化するため検出可能なのですね。
その他、この手の技術を使うと、ドラえもんの「どこでもドア」のような、テレポートもできる、などというのですが、現実的には相当に難しい話。実用的には、光通信や、量子コンピューティングのような、比較的単純な分野での応用が始まるのでしょう。まあ、アニメのゼーガペインでは、この技術に基づくテレポートを使用した、ということでしょうが、もちろんこれはアニメだから許される話です。
それにしても、一番根本のところがはっきりしていないのに、応用研究の進歩が著しいのも面白い現象です。もちろんこれは、電子技術やフォトリソグラフィの技術が進歩して、実験室的にさまざまな量子現象がテスト可能となってきたからなのでしょう。
根本のところがよくわからなくても、とりあえず動く、ということも現実社会では大事なことですから、このアプローチも間違ってはおりません。最先端技術の分野でも、いろいろと面白いことが進んでいるものですね。