先日、(その1)と(その2)の二回分の記事で木田元氏の「ハイデガー『存在と時間』の構築」を読んだのですが、この中に何度か取り上げられております同氏の旧著「現象学」が気になりましたので読み直しております。
同書は以前のブログでもご紹介しているのですが、このときはあまり深読みはしておりません。本日たまたま電車に乗る用事がありましたので、ちょうど良い機会ともう一度読んでみることにいたしました。まだ全てを読み通したわけではないのですが、気が付きましたことを一つだけ書いておきます。
現象学に関してはいろいろな方がさまざまに書かれているのですが、どうも一つぴんとこない印象を持っておりました。で、その理由がわかった、というと大げさでして、今頃気づいたのかとも言われそうですが、誰かのお役に立つこともあろうかと、恥を忍んでご紹介する次第です。
その理由とは、フッサールの考え方自体が、前期、中期、後期と大きく変化しており、私が注目しておりますのが客観を相互主観性の上に再定義いたしました後期フッサールの現象学だったのですが、たとえば西研さんや竹田青嗣さんは初期のフッサールの思想を中心に紹介されておりますし、メルロー・ポンティをはじめといたしますフランス系の思想家も前期から中期にかけての思想に重点を置いて継承しているように見受けられます。
これが一般的な現象学に対する見方であるといたしますと、私の考えております現象学と世間一般の現象学の意味合いは相当に異なってしまうこととなります。どうすればよいでしょうか。まあ、私なりの現象学をきちんと説明できれば問題はないのですが、これはかなりの難物であるような気もいたします。これにつきましては、ぼちぼちと考えていくしかなさそうです。
ちなみに、後期フッサールの思想に関しましてこれまでこのブログで読んでまいりました書物を以下にご紹介しておきます。現象学を勉強途中の書き込みですので、いろいろと馬鹿なことを書いてはいるのですが、、、
「ブリタニカ草稿」の感想
「ブリタニカ草稿」の内容
「デカルト的省察」の内容
諸学の危機の追記
西研氏の「哲学的思考」の感想
竹田青嗣氏の「現象学は<思考の原理>である」その1、その2
竹田青嗣氏の「現象学入門」
リオタール氏の「現象学」
地下鉄に乗るために新宿伊勢丹の地下食料品売り場を横切ったのですけど、すごいですね。巨大なチョコレート売り場が設営されておりまして大混雑状態となっております。
これは絵になるモッブシーンでして、動画にしてユーチューブにアップロードしたら世界が驚愕しそうな光景なのですが、店内は撮影ご法度。隠し撮りなどいたしますと植草教授の二の舞となりそうです。まあ、それは冗談なのですが、日本もまだまだすごいものがあると、感動した次第です。
あ、そうそう、チキリンさんの「研究者・勝負師・芸術家」ないし“LOGIC, MARKET, ART”なのですが、これ、少し前のブログでご紹介した「知性・感性・悟性」に対応していますね。
いろいろな方面のクリエーティブな方が、同じようなことを考えている。これには、ちょっと、心強いものを感じました。