本日は、鈴木大拙著「仏教の大意」を読むことといたしましょう。中公クラシックの一冊であります同書、出版は2017年1月25日と、最近の刊行となっておりますが、鈴木大拙師が元となります講演を行いましたのが昭和21年と、本体部分は大昔に書かれております。
鈴木大拙が与えた影響
以前のブログで、アップルの故スティーブ・ジョブズ氏の言葉と鈴木大拙氏の言葉がかぶっていることをご紹介しました。その際に、大拙氏の思想が西海岸のヒッピー文化に影響を与え、これが米国で起こりました情報革命に影響を与えたのではないかと指摘いたしました。
今回ご紹介いたします「仏教の大意」の中公クラシック版、山折哲雄氏によります前書きが充実しているのですが、大拙氏が西欧世界に与えた影響について、次のように述べられています。
知られているように、西欧世界で鈴木大拙の影響を受けたと告白している哲学者やアーティストは少なくない。たとえばマルティン・ハイデガーやオノ・ヨーコといったアーティスト、そしてアップルの創業者である今は亡きスティーブ・ジョブズ、それにファッションデザイナーや音楽家や小説家、心理学者たちにも刺激を与えてきた。その影響の大きさは、単にその英文著作を通して「ZEN(禅)」を伝えてきたというだけでは、おそらく十分にはかることはできないだろう。
美空ひばりと大拙
こう書いたあと、山折哲雄氏はその謎ときを始めるのですが、驚くべきことに、まず美空ひばりに話が行くのですね。
このあたり、鈴木大拙氏の私生活の話題に入ってしまい、あまりここで取り上げることは不適当という感じも致しますが、簡単にご紹介しておきます。
まず、鈴木大拙氏はビアトリス・レーンと結婚後スコットランド人の血を引くアランを養子に迎えております。アランは成長後、音楽の才能を発揮し、1947年に「東京ブギウギ」を作詞、笠置シヅ子がこれをうたい大ヒットいたします。しかし、アランの生活は乱れ、離婚結婚を繰り返して世間の信用を失ってまいります。このころデビューした美空ひばりは「ヘイヘイブギ」を出そうとするのですが、笠置シヅ子のクレームを受けてこれを断念いたします。
1950年代に入りますと、コロンビア大学で禅や仏教を教えていた鈴木大拙氏が注目を集め、同じころに美空ひばりが華々しくデビューを果たし、アメリカ巡業の旅に出かけます。鈴木大拙と美空ひばりの人生は互いに絡み合った経過をたどってまいります。
とはいえ、これは前書きを書きました山折氏の個人的な感想であり、禅や鈴木大拙師の思想と美空ひばりの人生とは、直接の関係のあることではないでしょう。
ビート世代
あと、この部分の書き方で少々おかしいのは、アランに関する記述に次ぐ、以下の箇所です。
そのいきさつを、すでにビアトリス夫人に先立たれていた大拙がどのように受け止めていたのか、よくはわからない。しかしここではそのことの詮索はおくとして、それよりもその後、大拙の説くZENの思想がアメリカの若者たちの心をとらえるようになったことの方が、時代の熱気を映し出しているようで面白い。
アメリカにおける鈴木大拙とビート世代との出会いである。1950年代に入って、ケルアック、ギンズバーグ、ゲイリ-・スナイダーなどの文学グループ。そして新世代の芸術家集団が大拙のZENに興味を示し、「日本」への関心をかき立てていく。そのころ、コロンビア大学で禅や仏教について魅力的な講義をつづけていたのが大拙で、ジャーナリズムも注目し始めていた。
じつは、大拙氏はビート世代には批判的で、以前ご紹介いたしました東洋的な見方では、次のようにビート・ゼネレーションに対してはけちょんけちょんなのですね。
よく自由と放逸とを混同する。放逸とは自制ができぬので、自由自主とはその正反対になる。まったくの奴隷性である。近頃のビート・ゼネレーションなどは、これに近い。若い人々の陥りやすいところ。「心の欲するところに従って矩(のり)を越えず」などということは、わがままものの夢にも及ばない境地である。
ここは、ビート世代という言葉は避けた方がよかったようなところです。
とはいえ、いずれにいたしましてもこの考え方は西欧の若い世代の心をとらえたようで、先の引用部は次のように続いてまいります。
鈴木大拙の「英語」が不思議な威力を発揮するのがそのころのことだ。そのビート世代の突発的な動きは、今日の目から眺めると、あの英国のビートルズが世界の若者たちの心をわしづかみにしていく先駆的な芸術運動の第一波だったのかもしれない。
まあ、ビートルズはどちらかといえばインド思想に惹かれていたのですが、彼らからみれば、禅も、インド思想も、似たようなものであったのかもしれませんね。
音声の「ちから」
さて、ここで山折哲雄氏が鈴木大拙の「英語」に注目いたしますのは、その心に響く言葉(声)の力であり、それが美空ひばりの歌とも共通するというのですね。
結局のところ、禅は、主客分離以前の世界を目指すもの。言語論理でもなく、感性でもない。あらゆるしがらみを離れた純粋な人の意識で世界を見ようというのが禅の神髄であり、鈴木大拙の言葉・音声の力や美空ひばりの歌声の迫力を感じとることは、まさに禅を行っていることに他ならないのですね。
これは、フッサールの「自然的態度」にも共通するかもしれませんし、ヴィトゲンシュタインの「日常世界」とも共通するのかもしれません。そういえば、サルトルの「本質に先立つ実存」とも共通しそうな感じを受けますが、実はサルトルの実存は、さまざまなしがらみを一切合切請け負った実存であったはずで、そういったものをすべて捨て去ったところに禅の世界はある、ということなのでしょう。
そういえば、これは人を陶酔に導く音楽の力を高く評価するニーチェの思想にも相通ずるところがありそうですし、ニーチェの善悪の彼岸に行ってしまいました和辻哲郎もまた、禅の心によるものであったのかもしれません。
妙好人への関心
さて、以上書きましたことは、脇道部分でして、本論は最初の方と最後の方に書かれております、以下の部分ということになるでしょう。
まず、その最初は、次の部分です。
かなり以前のことになるが、フランス文学者の桑原武夫さんがこんなことを言ったことがある。津田左右吉は記紀神話の虚構性を暴いた歴史家であるが、その批判精神を持っている実証史家が、日本文学史上最高の文学者として小林一茶の名を挙げているのはいったいどうしたことか、と。何しろ日本の歴史に登場してくる思想家や宗教家を、津田は次から次へとなで切りにしているが、俳人一茶にだけは特等席を用意していたのである。津田左右吉はそのことを彼の大著『文学に現はれたる我が国民思想の研究』の中に書いているが、先の桑原武夫はさらに鈴木大拙をとりあげて次のように言っている。
鈴木大拙はたしかに「学識一世を覆う仏教学者」であったけれども、その大家がもっとも高く評価する宗教人が、目に一丁字ない妙好人であったことには本当に驚かされるといい、そのことに半信半疑の目を向けているのだ(『歴史の思想』現代日本思想大系27、筑摩書房)。ここでいう「妙好人」とは、信仰心の熱い民間の念仏行者を賞賛していう言葉である。
当時その文章に触れて、私はなるほどと思わずにはいられなかった。合理的近代主義者の桑原さんにとって、それは誠に不思議な風景と映ったに違いないからだ。何しろ、現代日本の最高の知的水準を示す思想家が、心情的には我が国特有の土着思想に深い傾倒の気持ちを表していたというわけである。しかしそれはそれとして、そもそも鈴木大拙の存在と思想が、はたして「近代」という枠組みの中に収まりきれるものなのかどうか、それ自体がはなはだ疑問ではないか。
もちろんその疑問に対する答えは、上の文章を理解された方なら簡単に出てくるでしょう。禅の思想が、理性重視の近代の枠組みに収まるわけなどありません。近代なり現代の、次の時代の枠組みの中に、禅の思想は収まることになるのでしょう、などというと、格好が良すぎるでしょうか。
そしてこれを受けますのは、最後に出てまいります以下の部分です。
さきに私は、鈴木大拙の思想はいわゆる「近代思想」の枠組からは外れるであろうということを言った。そしてそのことを明らかにするために、ここではかれの思想における発想の独自性、自立性、そして反逆性の三点を挙げて考えてみたのである。
最後に、この大拙思想が行きついた究極の岸辺の一つに、やはり「妙好人」の存在にたいするかれの尽きせぬ関心に注目しないわけにはいかない。それはさきにも触れたように桑原武夫によって提起された疑問ともかかわる。大拙のもう一つのよく読まれている代表作に『日本的霊性』(中公クラシックス、岩波文庫)があるが、そのなかでかれはその「霊性的人間」の究極の存在として「妙好人」に着目し、そのユニークな人物像について詳細に論じている。そこにもまた、鈴木大拙の学問と思想が従来の思想家や仏教学者にはみられない独自の風格を持っていることをうかがうことができるのである。
この山折哲雄氏の解説は、前後のあいだが非常に開いてしまったために、理解しにくくなってしまったのですが、このように近づけて読めば見えてくるでしょう。つまり、禅は「知性的世界」でも「感性的世界」でもない「霊性的世界」に注目するものであるといたします。ここで注意しなくてはいけないのは、この霊性なるものは「霊魂」等の超自然的性質をもつ実在ではなく、世界を認識するあり方の規定する世界です。要は、主客分離以前の世界であり、世界について理屈をこね始める前の「あるがままの世界」ということになります。
そしてそれは、知性でも感性でもない世界であるわけですから、言葉で説明することもできないわけで、ただただ感じ取ること、知らないうちに身に着けることによってのみ、到達できる世界ということになるのでしょう。そしてそれを行っているのが妙好人というわけですね。
そういえば、聖性なり徳性を、市井の片隅の名もなき人びとの中に見出すこともあります。この手の人たちは、ひたすら善良な人たちであって、下手に学問をして理屈をこねまわす人々よりも、よほど人格・道徳性において優れている。
その境地に達するために、学問を修め、禅の厳しい修行をしてやっと到達できるというのは、あまりにも無駄な話であるようにも思えます。でも、その脇道があるから、自信をもってこの無分別を受け入れることができる。そういう意味では、この回り道も、それなりに貴重な経験であるとも言えるのでしょう。
一枚起請文にみられる禅的記述
ただし、このような考え方は、鈴木大拙氏の全くのオリジナルというわけではなく、似たようなことは過去の仏教僧たちも語っております。たとえば、法然上人の一枚起請文(以下)は、学問を否定まではしないものの重視してはならぬとし、尼入道の無知の輩のように念仏を唱えよといっているわけで、妙好人を持ち上げる大拙の考え方とさほど異なるものではありません。
唐土我が朝に諸々の知者たちの沙汰し申さるる観念の念仏にも非ず。 また学問をして 念の心を悟りて申す念仏にも非ず。ただ往生極楽の為には南無阿弥陀仏と申して疑いなく往生するぞと思いとりて申すほかには、 別の子細候わず。但し三心四修と申すことの候は、皆決定して南無阿弥陀仏にて往生するぞと、思ううちにこもり候也。 此外に奥深きことを存ぜば、二尊のあわれみにはずれ、本願にもれ候べし。念仏を信ぜん人はたとい一代の法をよくゝ学すとも、 一文不知の愚鈍の身になして、尼入道の無智の輩に同じうして、智者のふるまいをせずしてただ一向に念仏すべし。
証のために両手印をもってす。
浄土宗の安心起行此一紙に至極せり。源空が所存此外に全く別儀を存ぜず。滅後の邪義を防がんがために所存を記し畢。
建暦二年正月二十三日 大師在御判
まあ、ただ一向に念仏するのと、論理を捨て去った境地から世界をながめるというのとでは、少々意味合いが異なるのですが、こういった仏教の教えの端端に、禅の心の片鱗が垣間見えるというのは、面白い話ではあるように私には思えます。
本文部分の成立
さて、以上は前書きの部分。鈴木大拙氏になります本文の部分は、昭和21年4月23日と24日の二日間にわたって、鈴木大拙氏が恐れ多くも天皇皇后両陛下のために講演を行ったその内容を書き起こしたもの。後で読みますと少々誤解を招きやすい部分があったということで、これを補充した形で同書は書かれております。また、講演後に大拙氏の口述をもとに英訳を刊行したのですが、これもいろいろ不備があるということで、同書をベースに改めて英訳版を作成したいと。なかなかに意欲的な書物ではあります。
で、その内容ですが、これはまたの機会ということに。(こちらに続きを書きました。)