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モンティ・ホール問題

最後に重要な修正ありMechaAG氏のページはイケハヤ批判もありましたのでちょくちょくのぞいているのですが、最近ははずれが多いのが玉に瑕。でも、モンティ・ホール問題に関するエントリーは、少々面白い話題ですので、取り上げてみましょう。


この問題に関しましては、Wikipediaなどに詳しいのでここでは簡単な紹介に止めますが、要は、以下のような問題です。

プレーヤーの前に閉じた3つのドアがあって、1つのドアの後ろには景品の新車が、2つのドアの後ろには、はずれを意味するヤギがいる。プレーヤーは新車のドアを当てると新車がもらえる。プレーヤーが1つのドアを選択した後、司会のモンティが残りのドアのうちヤギがいるドアを開けてヤギを見せる。

ここでプレーヤーは、最初に選んだドアを、残っている開けられていないドアに変更してもよいと言われる。
ここでプレーヤーはドアを変更すべきだろうか?

で、正解は「変更すべき」で、変更しない場合は正解確率は最初と変わらず1/3なのだけど、変更したら、次の理由により、正解確率が2/3に上がると。その理由は、最初にはずれを選ぶ確率が2/3で、この場合は変更した結果あたりになる一方で、最初にあたりを選んでいたら変更した結果はずれになるのだけれど、この確率は1/3しかない。だから、変更すれば2/3の確率であたりになると。

幾多の数学者は、変更してもしなくても、残っているドアは正解と不正解の二つのドアなので、当たる確率は1/2だというのですが、上の正解を選んだのが史上最高のIQを持つといわれるマリリン・ボス・サヴァントさんただ一人(?:異論アリ〼)だったというのがこの問題のセンセーショナルな点。コンピュータシミュレーション結果まで示されてしまいますと、これで一件落着との感もするのですが、さて、この判断は正しいのでしょうか。

実は、確率というものは、いったん決まったらずっと変わらないと思われているのですが、確率は人間の世界認識を表すもので、知識が変化すると確率も変化するというのが量子力学の常識なのですね。つまり、この問題は、観測に伴い粒子の存在確立を表す波動関数が変化する「波束の収縮」をどう解釈するかという問題と同じなのですね。

その一つの解釈は、ハイゼンベルクに始まるコペンハーゲン解釈で、実はハイゼンベルクはカント哲学に造詣が深かった。カントに言わせれば「人々が知っている世界はモノ自体ではなく、人々が認識した世界こそが世界のすべてである」として、それまで用いられていたサブジェクトとオブジェクトという概念を反転させてしまった。これを称して「コペルニクス転回」というのですが、この言葉を使う人は多くても、カントによるこの「転回」をきちんと理解している人は少ないのですね。

それはともかく、もう一つの解釈が「多世界解釈」で、観測により世界は複数の世界に分裂する、という驚くべき解釈なのですが、さらに驚くべきことに、この解釈を支持する人も多いのですね。でもこれ、そうそうびっくりする必要もなく、「 人々が認識した世界こそが世界のすべてである」 とする先ほどのカント的世界観に従えば、世界はこれを認識する人の数だけあるとしても、何らおかしくはないのですね。そしてさらに言えば、その世界は、人々がコミュニケーションすることにより同期がとられ、一つの世界に収れんしていくというわけです。

で、確率が変化するという、このあたりまえともいえる前提のもとで モンティ・ホール問題を解釈するとどういうことになるでしょうか。

結局のところ、われわれはモンティがはずれのドアの一つを開けた段階で、確率を評価することになるわけですね。つまり、モンティがドアを開けた世界の中で確率を評価しなくてはいけない。この時の確率を評価する際には、「モンティがドアを開ける前の確率」ではなく「モンティがドアを開けた世界における確率」で評価しなくちゃいけない。

モンティがドアAを開けた世界では、回答者が最初に選べたドアはBとCの二つしかない。そしてそのいずれかが正解である確率は、それぞれ50%であるわけで、これがモンティがドアを開けた段階で評価すべき現実ということになる。そうであるなら、回答を変更しようとすまいと、確率50%であることに変化はない。モンティがいずれのドアを開けた世界でも同様な議論が成り立つわけで、大多数の数学者の直観が正しかったということになります。

コンピュータシミュレーションなどを示されますと、それが正しい結果であるという印象を受けてしまうのですが、前提が間違っているシミュレーションは間違った結果しか出てこない。この単純な原理を押さえておかなくてはいけません。もう一つ、このお話の教訓は、多くの専門家の直観は正しい場合が多いということ。論理を展開して奇異な結論を得たときは、その結果を疑うという習慣も必要ではないかと思います。

もちろん、大多数の専門家が間違っている、という例もないわけではなく、それはそれで、大きな発見につながることもあるわけですから、奇異な結論を否定するにしても、きちんとした論理解釈が必要であることは言うまでもないのですが、、、


これ、次のように書けばわかりやすいでしょうか。

モンティが「はずれのドア」を開ける前の時点では、「内容物不明のドア」が3つあり、そのいずれか一つが正解だった。だから、それまでの時点で、正解確率は1/3だったのですね。

ところが、モンティが「はずれのドア」を一つ開けたことにより、「内容物不明のドア」は2つに減じた。そしてその二つのうちの一つが正解ということになる。だからこの時点で、ランダムに選ばれた回答の正解確率は1/2に上昇するわけですね。

情報が加わることにより確率が変化する、というのがコペンハーゲン解釈のキモですから、この状況はコペンハーゲン解釈と同じことなのですが、別の言い方をすると、世界は観測者の精神の内部にあるから、観測者が情報を得ることで世界が変化するわけです。

正解確率が、観測者の外部に存在するのであれば、観測者の知識の増加に関わらず、正解確率は1/3のまま変わらないはず。これがこの問題の解釈を分ける分水嶺ということになります。


さらにわかりやすいかもしれない説明:ドアが3つではなく1,000個あったと致しましょう。正解が一つしかなければ、正解確率は1/1,000なのですね。

で、モンティは、なんと998個のヤギの入ったドアを開けてしまう。残ったドアは二つだけ。一方はヤギで、一方は正解というわけです。さて、この状態で正解の確率は1/2なのか、1/1,000なのか。これがわかりやすい問題でしょう。


これでまだ納得できない方には、ロシアンルーレットをやっていただくしかありません。弾が6発装てんできる回転弾倉に一つだけ実弾を装填し、弾倉をくるくる回してどこに弾が入っているかわからなくする。そして、二人が交替で、銃口を自分の頭に向けて引き金を引くのですね。

で、運よく最後の二か所を残すまで生き残ったとします。さて、次に撃つとき弾が出る確率は、1/6なのか、1/2なのか。それが問題です。

まあ、1/6だと思い込んでおれば、多少は幸せでいられるかもしれませんけど、たぶん1/2の確率でこの世とおさらばすることになります。良い子は試したりしないように。


重要な修正です。

モンティの開ける戸は、ランダムじゃないのですね。モンティの開けていない戸が何か、という方がわかりやすそうです。

一つは正解の戸です。なにぶん、モンティはヤギの入っている戸を開けるのですから正解の戸は開けない

第二に、回答者が選んだ戸。これを開けたら問題にならなくなってしまいますから、回答者の選んだ戸は開けない

そうなりますと、たとえば1,000の戸があったとしても、モンティが998の戸を開けてしまった時、最後に残った二つの戸には、次の二種類の戸が含まれております。

正解の戸と、回答者が選んだ戸、ですね。

この二つは、同じ戸である可能性もあります。回答者が正解を選んだ場合です。でも、1,000もの戸があった場合、回答者が正解を選んでいる確率は1/1,000ですから、この確率は極めて低い。

そうなると、回答者が選んだ戸は、999/1,000の確率で外れの戸であり、回答者が選んでいないもう一つの戸は999/1,000の確率で正解の戸ということになります。だから回答しなおしてよいというなら、回答者が選んでいない戸を選ぶのが正解です。

ふうむ、IQ、馬鹿にしたものではありません。


これ、最初からドアに二種類ある、と考えるのがわかりやすいかもしれませんね。

第一の種類は、回答者の選んだドアで、一つのドアだけがこの種類に含まれます。

第二の種類は、回答者が選ばなかったドアで、こちらは、ドアの数から一を減じた数のドアが含まれます。

これら双方のドアの正解確率は、最初は等しいのですが、第二の種類の側は、不正解のドアをモンティが開けてゆく。その結果、この集団から不正解のドアが除かれて、正解の確率が増加していくのですね。「煮詰まる」といえば宜しいでしょうか。

量子力学の例でいえば、観測による確率の変化は、モンティがドアを開けることによって第二の種類のドアでのみ生じていたのでした。


ドアに二種類ある(回答者の選んだドアと、選ばなかったドアの二種類)とする上の考え方は、最後に二つのドアが残った時点で、これらの正解確率を共に50%にする条件は何か、という問題を考える際にも有益です。

つまり、双方の種類のドアに対する「観測」を同じように行えばよい。モンティは、回答者が選んだドアも含めて、ランダムにヤギの入ったドアを開けてしまえばよいのですね。それがたまたま回答者の選んだドアである場合は、その時点で、回答者の負けでゲームは確定するわけです。

具体的には、モンティは、乱数表なりサイコロを使うなりして開くドアを決め、回答者にわからないようにそのドアが正解でないことをチェックして、正解でない場合はそのドアを開いてゲームを続行すればよいのですね。

ランダムに選ばれたドアが正解であった場合は、開くドアを選びなおして最後までゲームを続けてもよいのですが、モンティが正解を選んでしまった時点でゲーム終了にするのが簡単かもしれません。モンティが正解を選んだ場合にゲームを終了とするなら、ランダムに選んだドアを、何も考えずに、開いてしまえばよい。開けたドアが正解であった場合、それが回答者の選んだドアなら回答者の勝ち、そうでなければ回答者の負けでゲームは終わるわけです。(2021.97追記:このパターンは、モンティがドアを開けるたびに確率が変化しますね。つまり、ドアが三つある場合、回答者が選んでいないヤギのドアを開けた場合は、最初のケースと同じことになり、回答者はドアを選びなおすことで勝てる確率が上がる。回答者が選んだドアか、正解のドアを開けた場合は、その時点でゲーム終了となる、というわけです。)

2 thoughts on “モンティ・ホール問題

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