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大企業に入ったほうが成長できるか、という問題について

Yahooに転載されたアゴラ記事で、新田哲史氏が「グローバルマチョ子への“再反論”」という記事を書かれていますが、その内容は少々ひどいものです。アゴラの記事への私のコメントはブロックされておりますので、以前のこのブログでも述べましたように、Yahoo側にコメントをつけることといたしました。果たしてこのコメント、みえておりますでしょうか。(Yahooの記事は既に削除されておりますので、アゴラのアーカイブにリンクを貼りなおしました。こちらには私のコメントはありません。)

ちなみに、私のコメントは以下の通りです。

世の中は矛盾や葛藤もあるけれど、その中でAかBかを決断できなくちゃいけない、ということでしょ。両論併記の結論など出してくるようでは、ガキの使いといわれても仕方ないように思います。

世の中には論理では割り切れない問題も無数にあります。これに解を与えるのはいわゆる暗黙知。無数の可能性を考え抜いた上で、直感的に解を得ているわけです。これにBという可能性もあるなどといわれても、たいていの場合は、そんなこと言っていないだけで、無数の可能性の一つとして考察済みなのですね。

いずれにいたしましても、結論のない主張など情報量はゼロ。そんな世界に若者を落とし込んではいけません。世の中は厳しいのですよ。

ちなみに「マチョ子」は少々問題のある用語のように思いますよ。そういう用語が跋扈するのがアゴラの世界であるのかもしれませんが、、、

この元となった話の流れが少々面白いので、筋を追っておきます。

まず、かのちきりん氏が「大企業のほうが成長できるとか完全にウソ」という記事を彼女のブログに書かれます。その内容は表題のとおりです。

これに対して新田氏が、批判記事をアゴラに書くのですが、これを意識したと思われるちきりん氏の批判記事「「AともいえるがBともいえる」とか言う人の役立たなさ」が出まして、これに対する反論として書かれたのが最初にご紹介いたしました新田氏の記事、ということになります。

この論争(?)に対する私の判断は、最初の記事のコメントにも書きましたように、ちきりん氏の完勝です。新田氏の記事の論旨はお粗末ですし、そもそも「グローバルマチョ子」などと他人を呼ぶことは許されることなのでしょうか。

仲間内で議論している場(アゴラはそうであるような気もいたしますが)ならよいかもしれないのですが、これがYahooニュースに現れますと、ギョッといたします。こんな失礼な人間にはお灸をすえても罰は当たるまい、とちきりん氏が考えたとしても、さほど不思議はありません。新田氏はトラの尾を踏んでしまった、といったところでしょうか。


で、「大企業に入ったほうが成長できるか、という問題について」ですが、実は私、財閥系と比較的新しい二つの大企業を渡り歩く一方で、国内ベンチャーの立ち上げを手伝い(後にマザーズに上場しました)、最初に勤めた大企業が経営権を握りました米国の元ベンチャー(@シリコンバレー)のRD戦略を担当したり、今では自らベンチャー企業を起こして代表取締役の座におさまっておりますので、ここら辺の事情は良く知る立場にあります。

最初に結論を述べてしまいますと、大企業では駄目になる人が多いけれど、会社が面倒をみてくれる、というのが実情でした。

そもそも人々が企業に就職する理由は、経済的な理由、端的に申しまして稼ぐためでして、自分が成長することを目的に入社する人などはどちらかといえば例外的存在です。成長しなくても稼がせていただけるのなら、何も面倒なことをする必要はない、と多くの人が考えることはまことに理にかなっております。しかし最近は、追い出し部屋などが話題になるくらいでして、大企業が駄目にした人の面倒を最後までみるかどうかははなはだ疑問です。そうなりますと、普遍的な意味で個人のスキルを上げておくこと、つまりは成長することも考えておかなくてはいけません。

大企業に入ったからといって慢心してしまってはいけません。最後にものを言うのは自らの力。社内に閉じこもるのではなく、常に問題意識を持ち、疑問に思ったことはとことん調べる。本を読み、自らの頭で考えること、常に数量化して、効率をあげる可能性を考えておくこと、表面的な技で満足せず、原理原則に立ち返って考えることなどを習慣づけなくてはいけません。

ベンチャーにおれば、このあたりはいやでも叩き込まれます。学生の方にわかりやすいたとえで言えば、ベンチャーに相当するのは進学校、といったところでしょうか。落ちこぼれるリスクは高いのですが、ついていければ実力はつく、当面は厳しくとも、先行きの可能性は広がる、というわけです。そうそう、進学校は授業料も高いですね。つまり、ベンチャーを含む小企業は一般に給料が安く、経済的には不利です。でも、うまくいって成長したら、人生トータルの収入は多いかもしれません。

まあ、大企業にマッタリ浸かっていても、すべてが全てリストラの憂き目に会うわけでもなく、運がよければ定年まで勤めあげることもできないわけではない。私にはそんな人生は耐えられないのですが、好みは人それぞれ、自ら選択すればよいというだけの話ではないでしょうかね。

あ、私も大企業を定年まで勤めあげましたよ。でもそれは、マッタリ浸かっていたわけではなく、しょっちゅう喧嘩をし、書物を読み、大学院の社会人コースに通い、転職までいたしました。まあ、そういうことをしておりますと、さすがにのんびりとした大企業でもそれなりの対応をしてくれるわけで、かなりのわがままも通させていただきました。

どう転んだところで人生は一度きりしかないのですから、悔いの残らない有意義な人生を過ごすよう心がけたらよいのではないでしょうか。

(ちょっと修正しました:11/29)