内藤忍氏の6/6付けBLOGOS記事「コロナ騒動で『これからどう生きるべきか』再確認できた」にコメントしました。
明日人生が終わるとしたら何をするか、という問題設定は、少々マイナス思考であるような気がいたします。
これに似た言葉として、「たとえ明日、世界が滅亡しようとも今日私はリンゴの木を植える」というルターの言葉があります。英語は次の通り。
“Even if I knew that tomorrow the world would go to pieces, I would still plant my apple tree.”
世界の終りも人生の終わりも、自分から見れば同じことなのですね。で、リンゴの木を植えるのは、世界が終ろうと終わるまいと植えるということで、これを内藤氏の問題設定に当てはめるならば、明日人生が終わるか終わらないかにかかわらず、私は私のなすべきことをする、ということなのですね。
リンダ・グラットン氏とアンドリュー・スコット氏の共著になります「LIFE SHIFT(ライフ・シフト) /100年時代の人生戦略」は、おそらく現代人必読の書と私は思っているのですが、100年の人生を見据えるならば、明日人生が終わるなどということは、少なくとも99歳になるまでは考えちゃいけない。
地球の寿命だって、あと50憶年くらいはありそうですから、さしあたりは人生100年と考えておけばよろしい。明日終わる人生を前提に考えるのではなく、人生・世界の終わりなどに左右されず、なすべきこと、やりたいことをやることを第一に考えればよろしいのではないでしょうか。
明日死ぬかもしれない。
これは私にとって現実である。
50歳そこそこではあるが、心不全、またそれに伴う脳こうそくを起こした私にとっては死は身近だ。
幸いにして、後遺症はなく治ったが、40代ですでに心不全を発症していた私は回復は困難である。
もちろん常に回復する工夫はしているけれども