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在宅勤務を可能とする鍵は、ひょっとすると奥が深いかも

以前のブログ「ヒロ氏の6/9付けBLOGOS記事「オフィスVS在宅勤務」へのコメント」にコメントを頂いているのですが、少々複雑な背景がありますので、独立した記事でお答えします。


頂いたコメントは次のものです。

mi.mino

2020-06-10 6:37:49

>>こういう形でのリモートワークができないということは、成果主義も形式をなぞっているに過ぎないことの現れだ、ということですね。

そうですね。

私はずっと専門職なのでこれに近い仕事をしてきましたが、結局年功の方が優先してきているのはみてきました。

ただ実際どちらがいいかは経験した結果、年功の方がよいのではないかと考えています。

それは平成時代がずっと不況で、その期間がうまくいかないまでも成果主義を取り入れようとしていたためです。結局、年功の昭和時代の方がずっと良かったのではないかと思って居ます。

日本人は年功の方が幸せ。これは先にあったなぜうまく対策しているのに、日本人はコロナをそんなにおそれるのかという点にかかっています。

つまり異常なほど増えていく内部留保がなければ、経営者も社員も安心できない特性に依ります。普通ならお金は投資にまわさなければならないのに。

アメリカ人のように楽観的になるのは無理でしょう。

「年功の昭和時代の方がずっと良かった」これは逆だと思います。つまり、昭和時代は経済が拡大し続けた良い時代だったので年功でやっていけた、ということですね。

年功序列でやっていけるのは、年寄りが有能との前提が成り立つからで、能力が経験でほとんど決まってしまうなら年功序列は有効に機能する。その前提は、同じようなやり方で事業が成長し続けることなのですね。

戦後という、すべてが失われた時代から、高度成長を経て、環境問題、資源問題に世界に先んじて対応して、ジャパン・アズ・ナンバーワンといわれるようになる。

ここまでは、主に海外の優れた技術を取り入れつつ、個々の問題に対応した改良検討を行い、教育熱心な国民性に支えられた教育制度がこれに必要な人材を提供し、年長者が組織がうまく回るように調整していく、これで十分に高い経済成長を実現し、有り余る経済的成果の一部は福祉制度にも回すことができた。

ところが20世紀終盤に、かつての発展途上国が先進国にとって代わるまでの成長を遂げ、一方で情報革命という、従来とは全く異なるビジネススキームになってしまうと、経験があまり役に立たなくなってしまった、少なくともそれだけでは成長し続けることができなくなってしまったのですね。

このような状況下で、旧態依然の体制で経営を続けてきた我が国の企業が情報革命に乗り遅れる一方で、GAFAと呼ばれるような米国発の新しい経営スタイルの企業が我が国を席巻する、何とかしなくてはと、さすがの日本企業も考えたはずです。

おそらくはこれが、かつての年功序列制度を捨てる形で「能力主義」への移行の必要性が叫ばれ、これが難しいとなったところでより評価の容易な「成果主義」に移行しようということになる根本理由だったのでしょう。

ところが米国で能力主義や成果主義が成立する前提は、評価手段が確立していたこと。米国の場合はジョブディスクリプションに理由を求める人が多く、これは確かに事実ではあるのですが、その前提に、責任体制が確立していることがあります。

この責任体制、米国の会社組織は基本的に「Report To」の関係で成り立っているのですね。つまり、完全なピラミッド型のヒエラルキーが成り立っている。だから、誰かにものを頼もうと思ったら、その上司を通して頼まなければいけない。

そういう制度だから、個々の社員がなすべきことは、その上司が完全に把握している。そして、成果も能力も上司が把握することが可能となる。

そうなりますと、部下の成果は上司の成果でもあり、優秀な部下を多数抱えている上司は高い能力を持つと見なされることになり、部下の能力を正しく評価してその能力を発揮させることができない上司は、無能な上司ということになり、人余りの時期に切られることになる。

その結果できる会社組織は、社内に強いチームを多数抱える企業であり、それぞれのチームを優れたリーダが率いる。その上に立つマネージャは、これらチームの価値を発揮できる形のビジネスプランを追求し、不足した機能は外部からリーダなりチーム丸ごとを引っ張ってくる形で補強する、そうして強い企業組織が出来上がるのですね。

このような、細かい部分に目が行き届くような体制にせず、旧態依然とした企業体制を維持しつつ、全社同一かつ共通のジョブディスクリプションの上に成果主義を実現しようと考えるところに無理がありました。

Report To」式の完全ヒエラルキー制度がうまく機能する前提は、マネージャーに対する評価をきちんと行うことで、上司に直属の部下を切る権限を与えなくてはいけない。

切られた部下は、直ちに首になるわけではなく、社内の他の部署で必要とされるなら移動すればよいし、人材プールみたいなところで一時的に預かることも可能でしょう。

でも、マネージャークラスにはなかなか厳しい制度になり、最終的に、トップがある程度の能力ありと認めた人物以外は、マネージャクラスでは、すぐにレイオフになるリスクを抱えることになる。

そういう背景があれば、マネージャーは部下の評価を本気でせざるを得ず、結果的に正しい評価がおこなわれる、というわけです。

そこまでしなければ本物ではない。成果主義の形だけなぞってマネージャに対する甘い態度をとり続けてしまうと、結局は何の役にも立たず、社内に不満が充満するだけで会社が傾いてしまう、そういう道をたどりつつある会社が日本には多いように思われるのですね。

まあ、だからどうするということもなかなか難しく、この先は、米国企業がうまくやるなら、それはそれでも良い。国境という概念は、ビジネスの分野では徐々に消滅し、より優れた制度が世界に広がっていくことになるのではないか、そんな予感もひしひしとしている次第です。

2 thoughts on “在宅勤務を可能とする鍵は、ひょっとすると奥が深いかも

  1. Mitsu Minomi→mi.mino

    私の考え方はまずマクロを学習し、しかしそれが自分のミクロの体験と異なりすぎる場合、そのマクロの考え方をもう一度考えなおすというのがベースにあります。

  2. mi.mino

    ーーーすみません、途中でサーバが受け付けなりましたので、もう一度ですー

    このことについては論争は控えます。
     私はいわゆる競争原理に基づく仕事場と年功序列の仕事場の両方をそれぞれ2社ずつ経験しています。その結果、やはり年功の方が社員は幸せであると感じたためです。
     それそれ、東証一部2つ、JASDAC一つ、未上場1つです。今は東証一部のかいしゃにおり、さらに私は自分の会社を経営しています。

    「つまり、N=1の私の体験にすぎないので、マクロ的には瀬尾さんの方が正しいと思います。」

     そのため、私のこの話は納得いく人はいないし、もっと深い話もあるのですが、瀬尾さんが納得いくものにはならないと思います。
     いろんな人と話をしましたが、日本人で両方経験した人はほとんどいないため平行線でおわりました。ほとんどの方がどちらかでしょう。
     しかも複数経験している人は全くいません。
     私が経験していないのは公務員くらいです。

     おそらく、年功序列の報酬の幅を狭めても、日本では年功序列の方が利益の幅は広いです。
     2020年現在において、そのような会社が世界中において現在2位であり、利益幅も、ここ15年あまり、10%付近を維持しています。。

     あくまでもN=1の経験としてとらえてください。

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