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中村ゆきつぐ氏の6/10付けBLOGOS記事「WHO いったいどっち? この時期マスクは密の状況か人と話す時に」へのコメント

中村ゆきつぐ氏の6/10付けBLOGOS記事「WHO いったいどっち? この時期マスクは密の状況か人と話す時に」にコメントしました。


今日の論理学は、二値論理をベースに発展しているのですが、学問的態度としては、真実には三つの状態があると考えなくてはいけません。

つまり、「Aである」という状態と「Aではない」という状態と「AであるのかAでないのかわからない」という状態の三つなのですね。

これを念頭に、それぞれの方の発言を読み直すと次のようになります。(【】は私の強調)

NHK:無症状の感染者も症状のある感染者に近い割合で周りの人に感染させている【可能性がある】

CNN:無症状の症例からさらに別の人へ感染がひろがったケースは【めったにないようだ】

これ、NHKの報道を「Aである」、CNNの報道を「Aではない」と解釈してはいけません。どちらの報道も「AであるのかAでないのかわからない」が正しい解釈なのですね。

これをAであるのかないのかのいずれかの解釈にしてしまう考え方がありがちなのは、今日の論理が二値論理をベースとしてしまっていることの弊害であるように思われます。

ちょっと別の話ですけど、放射能は危険だ、危険じゃない、とか、ワクチンは危ない、危なくない、とかいう話で、ほとんど宗教論争が始まっているのもこれが原因かもしれません。

わからないことでも、どちらかに決めつけなければ気が済まない人が多すぎるのですね。

わからないというステータスがあることは、かつてソクラテスも語っておりました。彼がなんと言ったかよくわからないのですが、その言葉を再現すると、次のようになるのではないでしょうか。

      「汝、己の知らざるを知るべし」


コメントとそれに対する返信です。

Toshimi Minoura

Fuzzy Logic というものがあります。Aである可能性Paを、0と1の間の数字であらわします。

Wikipedia に解説があります。


瀬尾 雄三

Toshimi Minoura さん

上の論理は、一般に「多値論理」と呼ばれる分野で扱われており、その嚆矢は、ポーランドの論理学者ウカシェヴィッチが1920年に発表した「3値論理について」にさかのぼることができるとされております。(「数理科学」1980年2月号など、以下も同じ)

この中で、ウカシェヴィッチは真とも偽ともつかない命題に第三の値を定義したのですが、1931年ゲーデルは不完全定理を発表し、数学的にも「真」とも「偽」とも断定できない命題があることを明らかにしました。

これを3値論理で表現する論文を1938年に米国のクレーニが発表、ゲーデル自身も1932年に多値論理を扱う論文(「ゲーデルのn値論理」と呼ばれる)を発表しました。

そういうわけで、本来は(少なくとも3値の)多値論理の方が正当であるはずなのですが、なぜか今日では二値論理が主流になってしまっております。

3値論理は、データベースなどでの実用的な利用が検討されておりました。そういえば人工知能を扱うSFで「データが不足しています」などとコンピュータが答えるシーンがありましたね。これをやるには、3値論理が必要になるのですね。

まあ、こんなところでぼやいてみても始まらないのですが、、、

1 thoughts on “中村ゆきつぐ氏の6/10付けBLOGOS記事「WHO いったいどっち? この時期マスクは密の状況か人と話す時に」へのコメント

  1. mi.mino

    >>ちょっと別の話ですけど、放射能は危険だ、危険じゃない
    これで中立してたら、あっという間に両方から馬鹿扱いされたな。

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