山田太郎氏の6/12付けBLOGOS記事「ネット誹謗中傷対策案、岸田政調会長に申し入れ」にコメントしました。
匿名表現の自由を認める場合、匿名化する者の責任を明確化しなくてはいけません。
ネット以前の古くからの言論手段の例では、たとえば新聞社は取材源を秘匿できる。だから例えば企業や役所の内部の人間が新聞社にニュースを提供した場合、情報をもたらした者に関する情報を秘匿することが新聞社には認められているのですね。
でも、新聞社はそのニュース記事に責任を持たなくてはいけない。それが他の匿名の者がもたらしたニュースであっても、新聞社が報道する以上、その内容に関する責任の所在は新聞社にあるのですね。
そうなると、匿名の書き込みを許す場を提供する者は、そのメッセージに対して責任を負わなくてはいけない、ということになる。
だからBLOGOSも匿名コメントをやめたのではなかったかな?
ネットに関して、言論の自由と通信の秘密を守るべきとの主張が一方にあり、検閲は認めるべきではないとする主張があります。これは、それ自体は妥当なのですが、すべての通信のありかたにこの話をあてはめることには違和感があるのですね。
つまり、不特定多数に公表されたメッセージには、もはや通信の秘密など関係なく、これを見てその内容に関して論じることは、個人にも許されるし政治家や行政にも許されるし、それどころか警察などの捜査当局にだって公表されたメッセージを利用することはできるのですね。
そして、公表されたメッセージには責任が伴う。それは、書き手の責任であるとともに、場を運営する者の責任であり、匿名化して書き手の責任が追及できないなら、匿名化した者がその責任を引き受けなくちゃいけない。
ネットは新しい技術であるだけに、社会的合意が完全に出来上がっているわけではない。でも、権限のあるところ責任ありとの原則を展開すれば、おおよそのルールは明確になるはずです。
大いに議論すればよろしい。
あるいは資本がエンジン、法律がブレーキ、ハンドル。
故に資本主義は曲がる、止まるなどの制御がききにくく。
法律は進む力がない。
両方がそろって居なければ上手くうごかない。
そういやblogsはコメント欄を閉めましたね。
入院している間に閉められしまったのでおどろきました。
零細氏はどこへ行ったのかな
プロフィールに私の意見が採用されていてうれしかったなあ。
「感情はエンジン、理性はブレーキとハンドル」
大体こんな感じの文章。細かい文面は多少異なるが。
いまはどうしているんだか。