猪野亨氏の6/14付けBLOGOS記事「昭和天皇の写真を焼くのが不敬っていったい、いつの時代 大村秀章知事へのリコール運動の不当性」にコメントしました。
リコールに関わるべきではないとする主張は、いわゆる「言挙げせず」を彷彿とさせます。
ポパーによれば、全体主義と共産主義(およびプラトン主義)は根を一つにしており、そういう意味では猪野氏の考え方に近い。右翼を嫌うのは近親憎悪的背景があるような印象を受けます。
リベラルの立場からは、リコールでも何でも大いにやればよいのであって、これに賛成するか反対するかは大いに議論したらよいのですね。
ちなみに、アイトリ問題は、我が国における文化活動を大いに傷つけてしまったし、行政の文化活動へのかかわりも難しくしてしまった。そういう意味では、大村知事の責任もまた重大だと思います。
とはいえ、知事は脇が甘かったという意味での責任があるわけで、主体的に悪事を働いたわけでもないことから、何もリコールされなくちゃならないほどの悪人ではない、というのが私の評価。
でも、リコールすべしとする感覚もまた理解できるわけで、ここは大いにリコール運動を行って、住民の意見を問うことは有意義であるように私には思われます。
それが、全体主義的ではない、リベラル的人びとの普通の考え方だと思いますけどね。
リコールは有権者の権利である。
理由は問われない。有権者の判断のみが重要である。
私は天皇陛下は敬愛しており、日本が近代化する時に大きな役割があった。
民主主義というのは、神に比べて人間は矮小であるから、平等という考えが、キリスト教ベースの考え方だ。つまり神はスーパマンであり超越者だ。
日本は近代化において天皇陛下をベースに考えることによって民主主義を導入した。
1400年に渡って系譜がつながっているという考えで超越させたのだ。