諌山裕氏の6/18付けBLOGOS記事「『ゼロリスク信者』を生み出した科学の責任」にコメントしました。
ゼロリスク、という言葉には相当な違和感があります。
リスクマネージメントという経営学の一分野があるのですが、ここでいう「リスク」とは、「起こる確率は非常に低いが、一旦発生した場合には壊滅的な結果を招く事象」というような定義がなされます。
で、リスクへの対応として次の4つの戦略があるのですね。
・テイク:リスクの示現する確率が無視できる程度に小さいか、リスクが示現しても問題ない場合にとられます。後者は、本来の意味でのリスクではありません。
・転嫁:リスクが示現した場合に他の者にその損失を補填してもらう、保険などでの対処。天災などの経営外部要因によるリスクへの対応としてはあり得ますが、経営内部要因(労使関係とか、技術力不足など)によるリスクには対応できません。
・縮小:投資の規模を小さくしたり、他の企業と共同で事業化するなどにより、リスクが示現した際の損失を小さくして対応可能とする戦略。利益も当然減ることになります。
・回避:壊滅的な結果が無視しえない確率で起こるなら、そういう事業はしないのが正解です。でも、回避するということは利益も得られません。
で、われわれが取り得る対リスク戦略は、起こり得る確率が非常に低く、無視できる(=確率0とみなせる)リスクをテイクするのか、あるいは、リスクの名には妥当しない、示現してもさしたる問題はない程度とするか、の二つであって、いずれもこれをあえて名付ければ「ゼロリスク」なのですね。
つまり、リスクマネージメント的には、「ゼロリスク」は、全く正しい戦略ということになります。
何を批判されているのでしょうね。
「リスク」の定義を、今一度、考え直されるのが良いのではないでしょうか。
むしろ経済学の問題だろ。
不足したものは高く売れるという経済学の原則(笑)を放置しておけばそうなる。
いうまでもないが、これは原則というほどの条件ではない。
条件によっていろいろ異なるからだ。