山崎 毅氏(食の安全と安心)の6/23付けBLOGOS記事「新型コロナ:健康被害の起こりうるリスクは? ~ゼロリスクはないが、許容可能なリスクなら安全~」にコメントしました。
新型コロナの「リスク」という言葉を使う場合、その意味するところには、個人的な視点でのリスクと、社会的な視点でのリスクの区別を意識して使わなくてはいけません。
普通の人が新型コロナを問題とする際には、自分や家族が感染しないこと、そして特に新型コロナで死ぬような羽目にならないことが最も重要なポイントで、そういう意味での「リスク」が関心事ということになります。
このエントリーは、そういう意味での新型コロナの「リスク」を論じているわけですね。
一方、政府にとっての問題は、新型コロナによって多数の死者を出すことが最も避けなければいけない点で、これが社会的な意味での「リスク」ということになります。
特に、大問題となるのは、感染が急速に拡大して大量の感染者を生じ、医療崩壊につながるという「大惨事」がイタリアなどで発生しており、このようなことは絶対に避けたい「リスク」ということになります。
今回のコロナ対応でも「ゼロリスク」という言葉が否定的意味で使われているのですけど、個人的な意味での「ゼロリスク」は必要性が薄い一方で、社会的な意味での「ゼロリスク」は、まさに達成すべき課題です。
時に評論家の方たちに、この二つをごっちゃにして論じる方がおられることは、少々問題であるように感じております。
そういう意味では、このエントリーでも「ゼロリスク」という言葉が不用意に用いられているとの印象を受けました。このあたりは、ちょっと気を付けなければいけないポイントです。
>>これはまさにゼロリスクを目指したものの、感染リスクを抑えることに失敗した上に、大きな経済損失リスクを生み出したように見える。
山崎氏はアメリカにいくべきだな。
あれほどの被害を与えて、許容できるかよく考えるがよい。