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諌山裕氏の6/29付けBLOGOS記事「東京五輪の2021年開催はないだろう」へのコメント

諌山裕氏の6/29付けBLOGOS記事「東京五輪の2021年開催はないだろう」にコメントしました。


たしかに、現在の新型コロナの状況をみれば、来年の五輪開催の可能性がかなり低下している、ということは言えるでしょう。

そしてこのような予想は、国家社会を運営する立場からは、資源をどのように配分するかの判断などには重要な予想であることも事実だし、日本経済の先行き、ありていに言えば株価の予測にも意味のある予想でしょう。

でも、その他の人びとのこの手の予想には、多少+の棘が垣間見えるように思えるのですね。特に、出場を目指しているアスリートの心情を思いますと、この手の話題は口にしにくい。

逆に言えば、この手の話題からは、「他人の不幸はカモの味*」的心情から発せられているような印象を受けます。

まあ、最近の週刊誌記事のかなりは、この手の下種な心情に応じたものであるような気がしないでもなく、世も末じゃ感が漂ったりしているわけですが、、、

+: 多少の意味:(1)多い少ないの程度、 (2)多いこと、 (3)少ないこと
*: 関西では「あな嬉し、隣の蔵が売れていく」とも

1 thoughts on “諌山裕氏の6/29付けBLOGOS記事「東京五輪の2021年開催はないだろう」へのコメント

  1. mi.mino

    もうやめなよ。
    日本は過去の戦争で流れたこともあるんだし、どうもオリンピックには縁がない。

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